迷子の衝動徘徊中 so long
不思議なことはよくある。
自分が理解できないのか、そもそも誰にも解らない事なのかは今は言葉に出来ないのだけど
これだけ「情報」が溢れて交差していたら どの道、結果論でしか後で物は言いようがないけれど。
なので、「今だから言えること」と「誰にも答えなんて解らない」は並列に動きながら僕らの日常は流れているようです。
後からならいくらでも言い様があるし、結果論は後出しジャンケンみたい。
20代の時には見えていなかった事と言っても、見える見えないには個人差があるし、価値観や生き方、人生みたいなものは本人にしか全肯定出来ないのだから。
誰が何と言おうとも、誰に何と言われても、
そもそも歩いてきた道が違うのだから。
衝突した際には争うか無視をしたフリをするしか無いのだと思ったのです。
「不幸なことに、不幸なことがなかったんだ」という僕らの青春真っ只中に存在していた映画の台詞が、未だに僕の頭上を飛び回っている。
幸せの基準は、自分で決めるのだけど、
僕らのその後。
僕は幸せの答えを固定して12年が過ぎた。
世の中には無数の選択肢があったのに、どの選択肢を選べば幸せになるかの修正や、そこにしか僕らは希望の淡い期待をしていなかったのに
そこを「僕」は軌道修正もせずに、間違っていたとは言わせないが、その道を全力 全速力で疾走した。
疾走した結果は失速した訳だけれど。
まさに「迷子の少女」から「迷子の衝動」に僕自身が一人変わり、代わり果てた。
さあ、僕らの世界から「僕」の世界に変わって
今の僕はどこへ向かうのでしょう。
答えは 何 の中でしょう。
応えは どこの中にあるのだろうね。
さあ、飛び降りたから、次は飛び立とう!
年内に僕は「はかないご褒美」を一回用意して昨日 今日と走っているの。
ちなみに、誤解されるのも人生うんざりなので
カヴァーかコピーか論争に道端で巻き込まれたくないので
迷子の少女 と 迷子の衝動 は
七尾旅人の 雨に撃たえばdisk2
コーナーの最後の台詞の、僕なりの解釈なのよ。
遠目から眺めていて。