エイトビーターで走り切れば
人の悪口は言わない方が良い。
僕は言うと思うけど、幸せになりたい人は、出来るだけ、言わない方が良い。
僕は変わらない。変われないかもしれないけど、答えはそうだと思う。
僕が好きなあのロックスターは、作品の中で、活動の中で、僕らが見える所で、そんな事を表現していたか?
僕は僕の経験を僕の言葉で書きつける。
ハートに火をつけて。
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悪口にしろ、何か気に入らないような、気に障るような事は言わない方が最善の道だと思う。自分と相性が悪い人間とは関わらない。
相手にしないのが理想だ。
でも現実はそうはいかない。
それは何も知らないから分かっていない。僕も今まで解っていなかった。
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思い出したので引用させてもらいます。
【すべてのものには、必ずそれを生んだ因と縁とがあり、それを因縁生起いんねんしょうき=縁起というのです。現実には、因と縁と果とが複雑に関係しあい影響しあって、もちつもたれつの状態をつくっています。
『阿含経あごんきょう』に「これある故ゆえにかれあり、これ起こる故ゆえにかれ起こる、これ無き故ゆえにかれ無く、これ滅する故ゆえにかれ滅す」とあります。
日常、よく「縁起が良い・悪い」という言葉を聞きます。吉凶のきざしという意味なのでしょうが、本来は、他の多くのものの力、恵み、お蔭かげを受けて、私たちは生かされているという、仏教の基本的な教えなのです。】
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音声もいらない。
また、じゃない。
消していこう。
余裕や余白の意味は解るのに、僕は目一杯の自分を語ろうとする。
語る愛もあれば、語らない愛もあると言ったのは。どの口だ。
僕の口だ。
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声も正しく形にしていこうと思う。
僕は、いつの間にか気怠く、ダラダラ、楽に喋る事が癖になっていた。
元々、会話が上手い訳ではない気がする。
偶然のタイミング、出逢ってきた人との相性が良かっただけだと思う。
それで僕は、これも訓練だと思うけど、「正しい僕」というのも残したいと思うようになった。
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「欲」の否定はしない。
人間の欲を否定してしまうのは不自然だ。
でもそれが出来るのも人間の力だ。
僕らは、生きている事、すべてが欲なのだと改めて気が付いた。
それは、自分がしたい事、それも欲だった。
安易に欲と言うと、ね。わかりやすい欲ばかりに目がいってしまうかもしれないけど、人間の欲は死ぬまで。
欲の否定は人間の否定だと思う。
僕は僕を否定しない。
僕らは一日に3万5千回の判断をしているらしい。
そりゃ疲れるわ。
この、これだけ情報過多の社会になって、更に疲れるわ。
バグるよ。
人間には元々、忘れるという能力が備わっている。
だたそれは、今のこの情報過多を想定されてはいないと思う。
だから、僕らは忘れる事にも正しく向き合う。
忘れて終う、心に仕舞った想いは。
大事に大事に、大切に大切に守って、壊れないようにしていたら、今を生きられない。今を生きると言うのはそんな生半可では僕は苦しくなる。
バランスよく、中庸に。それも忘れない。
大事な事は忘れない様に。大切な事も守れるように。
その線を超えないように、風が吹いたら大きく飛んで。
心に魔が闇が訪れたら、適当に捌こう。
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この夜に吸い込まれて気が付くと追って連絡する。
・・
言葉は選ばなければならない。
言葉は適切にしなければ正しく自分の意思は伝わらない。
自分と相手との間に、出来るだけ、過不足を感じない言葉を選ぶことが出来るのが、僕の考える幸せな世界かも知れない。
その場に合わせると言うのは、空気を読むという事は、適切な言葉で対応する事だと知る。
過激な言葉は今でも掴みやすく、心地が良い時も都合よくあるのだけれど、それでは何時まで経っても安心できる場所には辿り着けない、僕の話。
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言葉は繰り返すと強くなる。
僕は多用する。でも、気が付かないと良くない事。
多用すると過剰になる。
それは作品や創作物であれば、それも一つの表現になるけれど、日常会話や生活の中では繰り返してしまうと良くない事になる。
誤解や語弊ではない。
ここで僕が例えとして、架空の人物を作って説明してしまうと今度は僕の周りに誤解を与えてしまうので、止めよう。
僕は嫌いよ。
フリーランスも自営業も。
カタカナやアルファベットが並んでよく解らない単語並べてる人たち。
実態が見えないから、ネット上では好きな自分になれる。
それだけじゃない。現実にも一杯いるよ。
自称の人達。
自分や自分の周りを誇張表現して自分の存在価値を上げてようとする人。
欲は自分の範疇だけで留めておかないと、恥かく。
その範疇に居ない僕から見れば。
その人は、ただの張りぼて、ペテン師と同じ。
もし僕が、不特定多数のお互いに知らない者同士、顔も見えない人達に向けて、誇張に見えるくらい過大な表現を使ってしまうと。
僕に少しでも関心や興味を持ってくれた人を遠ざけてしまう。
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僕と合わない人はそれでいい。
社会が繋がっていない人とは、関わっても話が最後は会わなくなって破綻、あるいは破滅する。
痛みを伴わない人間は、何をしても、どうなっても痛くない。
だから真剣に、自分を懸ける事は無いと僕は思う。
それを選ぶのは自分の間違った選択だと思う。
だから僕は僕に言う。
「負ける勝負はしたくないんだろ? 負けるギャンブルだと思うよ、それ」
懸ける相手を間違えると、大切にするものを間違えると、言葉を間違えると、失うことがあるよ。
どうだろう。過不足あるかな。
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ごめん。僕がミスった。
甘かった。どうしたらいい。
僕はもう何も見えないし、もう消えたい。
この世の全てをまだ知らない僕は、遠い何処かに消えたかった。
・・
生きた証は、これから僕が遺していく。
今の僕には生きる気が無い。力が無いと言うより、気が無い。
悪い。申し訳ない。ごめん、だ。
でも、大丈夫。
そこは僕。
ロックの申し子だから。
この言葉は、二度と、誰が相手でも引かない。
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この夜に吸い込まれて気が付くと追って連絡する。