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あー楽しいかもくらいが丁度いい

お疲れ様です。どうですか、今楽しいですか?


最近補聴器の調子が悪かったので、今日点検に出してきました。今着けているのは、貸出用の代わりの補聴器です。

母と行ったので、帰りにスーパーへ寄る。あまりにも暑かったためか、アイスでも買う? ということで、普段は食べないクーリッシュを食べました。

しかも、バニラではなくマスクメロン味。これが美味しくて、やっぱりメロンという果物が美味しんだよなと一人で納得する。

アイスが美味しくて、おかげで身体も涼めて、ちょっと嬉しい。



生きている中で少しでも嬉しい、楽しいって思えるものがあれば、それで十分だなって最近思うようになりました。

私は、楽しいかと聞かれたら、答えに困ってしまうような人間で。そもそも一緒にいる人に今楽しいかどうかなんて聞く人はいないとは思いますが。

私は子どもの頃から、今楽しいのかな、楽しいって自分は思っているのかな、などと考えてしまうなんともひねくれた子どもでした。今でもなかなか心の底から楽しいと思えることは少ないのが事実です。

それでも当時は子どもなりに、色々なことに対して楽しまなきゃいけない、というのは感じていて、だからこそ楽しめない自分はおかしいんだ、駄目だと思って、そういうところで落ち込んでいました。



だけど、全部が楽しいっていうことはないです。

もちろん、嫌だなって思ったことを全てなかったかのように忘れて見向きもしなければ、それは全部楽しかったという思い出になって残ります。

でも私は嫌なことを切り離して楽しいことだけを残すという器用なことができるわけではないので、どうしても、楽しくて嬉しいことと、嫌なことの2つが共存してしまう。


たとえば、旅行やお出掛けは一般的には楽しいというイメージがあり、だからその楽しみを得るために家の外に出る人が大半だが、その出掛けた先で起こることの全てが楽しいものかといったら、全部がそうだと言い切れるものではないと思います。

もしかしたら、行く途中で煽り運転のような危険な運転に遭遇するかもしれないし、入ったお店ではあまり愛想のよくない人が店員さんが出てくるかもしれない。

もちろんそれらは気にしなければすむことではあります。

だけど、全部が楽しいと思って行くと、少しでも不快に思う出来事があった際に、自分でも驚くくらい落ち込んだりすることがあったりしました。


でも、別に全部にこだわる必要はないんだよね

そうやってひとつひとつの出来事に一喜一憂しているのは、精神的にも体力的にも疲れてしまうし、何もそこまでこだわることはないよなって。

たまに、あー楽しい、嬉しいなって思えることが少しでもあれば、それで十分じゃないかって思うようになりました。

楽しいとはっきり思えなくても、あれ楽しいかも、とそれくらいの適当さでバッチリです。

そう思うようにしてからは、気分も楽になったような気がします。

まあ人生、あー楽しいかもくらいが丁度いいみたいです。


今回はここまで。読んで下さりありがとうございました。では、また。




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