見出し画像

マインドフルネスのいう「あるがままに見る」の逆って、「特別な体験に対する期待をしながら見る」ってことなんじゃないかと思ったって話。

 ここ6年くらい、瞑想を趣味で練習してまして。いろいろ教書を読んでみたり、お坊さんのやっている講座に通ってみたりしてきました。2010年代って、日本のエグゼクティブの間でマインドフルネスが流行りだした走りの時期だと思うんですけど、僕が瞑想を始めたきっかけはささいなことで、この時、歯の治療をしたんすね。基本僕は虫歯ってないんですけど、親知らずのちょうど影になっているところが、もう十何年かけてじわじわ食われていたようで。結局、細菌が神経に達していたみたいで、神経を殺すことになったんすね。その時、大げさなようですが、「自分の身体の一部が死ぬ」っていう経験をしたんすね。ああ、自分って死ぬんだと、当たり前のことだけど、思ったんすね。その時、自分が死んでいく、っていうことに向き合う必要をしみじみと感じて、手にとったのが瞑想の本でした。例えばこんな本を読みました。

 で、これもよく言う話なんですけど、瞑想にうまく入れない時っていうのがあるんすね。瞑想ってリラックスした集中状態なんてよく説明されるんですけど、瞑想に入れないっていうのはその逆で、なんかソワソワ落ち着かないというか、呼吸がうまくできないような感じですね。で、これはなんでかなと思って、内観してみて、はたと気づいて。

 僕は瞑想をするときに、「特別な体験への期待」みたいなものがあったなと。

 マインドフルネスって、仏教の瞑想技術の一部を切り取った方法論だと言われていますが、その結果、なんか妙に現世利益的というか、集中力が高まるとか、健康になるとかいうようなことが説明されがちです。それは瞑想を始める縁となる、それこそ「方便」としてはいいんでしょうけど、方便としての役割を終えたらもう手放すほうがいいんすね。なんかで読んだ仏教説話があるんすけど、川を渡るのに、舟がいりますよね。しかし、川を渡ったあと、舟を頭の上に乗せて歩く者はいないっていう。ここでいうと、現世利益っていうのは、僕らが仏の教えに触れる縁、きっかけであると。つまり、川を渡るための舟なんすね。だけど、いざその川を渡る、つまり教えの実践に入ってしまえば、もう舟、すなわち現世利益の役割は終わっているわけだから、捨てていいと、それを頭に乗せて歩く必要はない、っていうんすね。スマートっすね。

 で、特別な体験というと、そういう健康とか集中力といった身近なところから、それこそ宇宙が見えたり、神が見えたり、というような神秘体験、スペーシーな体験までありえます。マインドフルネスってヴィパッサナー瞑想のメソッドらしいんすけど、サマタ瞑想っていうメソッドでは、そういう宇宙のイメージと一体化することをやったりするようです。

 で、僕の中にも、瞑想に対して、そんな特別な体験を得たい、得られるはずだ、という期待があって、だから、その体験に至っていない状態を「未達」な状態と認識して、それが焦りや不安や未熟さに対する劣等感につながっていたみたいなんすね。

 で、今回気づいたのは、たぶん、瞑想ってそういうことじゃないな、と。よく教本でも「あるがままを受け止めましょう」みたいに書いているんすけど、それって具体的にはどういうことなんだ、逆にいうと、あるがままに受け止めていないってどんな状態なんだっていうと、こういうことかと。「特別な体験への期待」が、「ただ、座って呼吸している自分が在る」ということを、文字通り「あるがまま」見ることを妨げていたなあと。これが「あるがまま」ってやつかと。まあ、僕の場合、独学なんで、上の話が仏教的に正当な解釈かどうかはわからないっすけど、僕の中でちょっと腑に落ちたっていう。

 で、そういう期待に気づくと、落ち着くんすね。面白いもんで。僕はよく「無意識は気づかれたがっている」と思っているんすけど。フロイト風に言うとイドがね。あるいはスピリチュアル風に言うとインナーチャイルドがね。実は求めている、期待していることに気づく。無意識を意識化する、言い換えれば言語化する。そうすることで、無意識が満足するみたいです。そうそう、それなんですよ、みたいな感じで。「わかるー」っていわれたがっているんすね。

 僕は別に仏教徒というわけではないんですけど、仏教の方法論って、やはり歴史が全然ちがうので、すごく有効だとは思っているので、ここで得たご縁で、勉強している感じっすね。宮崎哲弥さんとか、自分のことを「仏教徒じゃなくて仏教者だ」っていっていたような記憶があるんすけど、それに近いかもです。

 この「特別な体験を期待しない」っていう態度は、結構いろんなことで大事なんじゃないかと思うんすね。「モノ消費からコト消費へ」とか「モノより思い出」と言われていますけど、僕らって、「特殊な体験」を通じた自己変容への期待が、ちょっとありがちなんじゃないかと思うんすね。それが悪いことだとは思わないっすけど、この「特別な体験」への期待が、むしろ何かを曇らせている場合もあるんじゃねえかなって思ったって話ですね。特にオチはないんですけど。

ここから先は

0字
まちづくり絡みの記事をまとめたマガジン「読むまちづくり」。 月額課金ではなく、買い切りです。なので、一度購入すると、過去アップされたものも、これからアップされる未来のものも、全部読めるのでお得です。

まちづくり絡みの話をまとめています。随時更新。

期間限定!Amazon Payで支払うと抽選で
Amazonギフトカード5,000円分が当たる

サポートされると小躍りするくらい嬉しいです。