他人と比べないタイプの自己肯定感の話
他人と比べないタイプの自信や自己愛の感情って、サバイバルする上では結構大事なんですね。
しかし、これをド直球でキープしようとすると、他人と比べないわけだから、独善というか、悪い意味でのナルシシズムに至るわけで、そうすると、「あの人は全然話を聞かない」「成長しない」なんてことになって、やっぱ集団生活の攻略法としては欠陥があると思うんですよね。
だから、どっちかっていうと、「比較と劣りを自覚した上でなお可能な肯定感の得方」の方が重要で。ただ、じゃあ、それってなんなの?という話になる。
例えば、大抵の仕事って、他の人よりも優れているとか、得意であるとかいったことを使う作業なのよね。で、能力っていつか必ず衰えるので、いつか必ず誰かより劣る時が来るし、そうすると仕事として成り立たなくなる。つまり、価値が比較され、変動しちゃう性質があるわけだ。
そういう性質の営みを、自信や自己愛のありかとして全振りするのは、大変リスキーな選択だってことになる。
じゃあどうしたら良いかって言うと、分散してポートフォリオ形成がいい。ワークライフバランスじゃないけど、あちこちに自信や自己愛の源泉を作っておくほうがいいんだね。例えば家族、友人、趣味グループ。そして地域社会ね。
そういう動機でまちづくりとか、やってもいいと思うんだ。
でもね、急にやろうとしても、すぐには成果出ないわけですよ。地域社会とかまちづくりなんて、長期的な投資なわけだから。一番駄目なのは、短い時間にドカンと投資して、短い時間でリターンを得ようとして、その目論見が外れて損切、っていうパターンだ。
まちづくりや地域に関わろうとして、痛い目にあった、っていう人の話にはそういうケースがしばしば含まれる。これは地域社会の問題ってか、投資に関するリテラシーの問題だと思う。
さて、自信や自己愛の源泉を、そういう価値が変動され、比較されるものに偏って依存するとやばいっていうことの解決策が分散投資であるとして、分散投資って実はけっこうめんどくさい。要するに「あちこちにいい顔をする」ってことだから、それなりに認知エネルギーを使うんですよね。そういうのが面倒な人は、分散投資をせず、仕事に一点張りしていく罠にハマっちゃう。罠が罠として機能するのにも、それなりに理由があるってことなんだね。
でね、この問題を解決する一番簡単な方法が実はある。それは「過去の実績を頼る」っていうものである。
過去の実績って簡単には消えないからね。つまり、価値が変動しにくいんです。いわゆる、「ベテランが昔の武勇伝とかをよくして若手に嫌がられる」みたいな漫画で見るようなベタな風景、あるじゃないですか。ああいう風景が、これだけ皮肉られているにもかかわらず、なんで繰り返し起こるかって言うと、「安定して成果を出せる戦略だから」なんよね。安牌なんですよね。
あ、そうそう。それでいくと、知識ってのも、時間と共に積み重ねていく過去実績の一種で、それを使えば知識マウントで自己愛を割合簡単に確認することができるから、僕も含めてやきの回ってきたおじさんはよく使う。やっぱり安牌なんですよね。
で、この過去の実績を誇るのって、悪いことだとされがちですけど、例えば「親に大事にされた」みたいなことでもいいんですよ。これだって立派な実績ですよ。
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