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読むまちづくり

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2020年8月の記事一覧

「やりたいこと」が見つからない人に足りないのは「自己探求」ではなく「世界観』の方じゃないかって話。

 とある会議で、「ソーシャル・デザイン」って言葉が出てきまして。2010年代に流行ったんですよね、ソーシャル・デザイン。Wikipediaによればこうです。 育児、地域産業、高齢化問題、コミュニティ、災害といった社会の抱えるさまざまな課題を市民の創造力で解決する方法として近年に注目され始めた[2]。社会的な線題の解決と同時に新たな価値を創出する画期的なしくみを作ること[3]、単なる利益追求ではなく、社会貢献を前提としたコトやモノのデザインといった定義がなされる[4]。 筧裕

オンラインビデオ通話を用いた双方向型のイベント、自分だったらどんなイベントに参加したいかって話。

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溜まるのはストレスじゃなくてフラストレーションで、って話。

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「こいつの言っていること、なんかモヤる」という場合、それは意図的に「誤謬」を使われているからかもしれないって話。

 こう、生きていると、「こいつの言っていること、なんかモヤる」ってことあるっすよね。そのモヤり、もしかしたら「誤謬」ってやつかもしれないです。 論理学における誤謬(ごびゅう、英: logical fallacy)は、論証の過程に論理的または形式的な明らかな瑕疵があり、その論証が全体として妥当でないこと。つまり、間違っていること。 個々の論証における誤謬を認識することは難しい。というのも、修辞技法的パターンによって表明間の論理的つながりが分かりにくくなっていることが多いため

能動的に夏休みを取るという話。

 ここのところ、なんとなくなんだけど、なにかが不足している感じがぼんやり続いていて。なんというか、呼吸が浅くなっている気がしていた。深く吸えていないし、深く吐けていない。で、じっくり体の感覚を調べると、お腹と腰が固くなっていて、柔らかさが足りなくなっている感じがする。腰痛みたいな感じがするんですけど、これは傷んでいるというより、固くなっているという感じで。  で、なんだろうなとマッサージとかいろいろ試したんだけど、これはあれだなと、「勉強」だわ、と思ったんですね。  ここ

「自殺」を「テロ」とみなすなら「自殺を減らすために最低賃金を上げるような取引には応じない」と考える人は居そう、ってはなし。

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心を込めて歌うカラオケシリーズ aiko「青空」

 色恋沙汰というのは、古今東西多くの人が興味を持つテーマでして。なので、私達が耳にするポップミュージックも多くが恋愛、それも片思いをテーマにしたものであるという分析をしている人もいたりします。  そんな色恋の中でも特にアダルトな響きを持つのが不倫とか浮気とかいったテーマで。私達の生きる社会は、一夫一妻の原則を建前としていますので、すでにパートナーが居るにも関わらず、その上で更に他の人の手を出しましたよ、みたいな話は格好のワイドショーネタとして人々の関心を惹くところでございま

夏の青春恋愛映画を期待して「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」を見たら「ひぐらしのなく頃に」の「鬼隠し編」だったって話。

 夏の青春恋愛アニメ映画!を期待して見たら、ホラーだった。怖いよね、この話。  ちょっと他の人の感想の見てみようかな。  セクハラ描写に食いつかれたりもしています。  結局何が言いたいの系の疑問を呈する人も。  逆に、細部への注目から、現実世界と妄想世界が入り交じるのが混乱の原因であり、見極め方はこれだよ、という人も。  細かいところがちょっとずつ不気味なんですね。望む結末につながるタイムリープを繰り返した結果、例えば風力発電の羽が逆回転してるとか、止まってるとか、

人はなぜ「アイ・メッセージ」を偽装した「亜イ・メッセージ」を騙ってしまうのか。

 面白い記事を読みまして。 例えば「あなたは私の話を聞いていない」ではなく、「私はあなたが聞いてくれないと感じている」と、自分を主語にして話すこと。 そうすると、自分も冷静になれます。感情的にならず優しく、事実=ファクトをもとに「目の前のふたりの問題を、どうやって解決していこうか」というスタンスですね 。  「亜・アイメッセージ」と私が呼んでいる一連の言い回しっていうのがありまして。この記事で紹介されているものがそれだなあと。  まず、「私はあなたが聞いてくれないと感じ

「やりたいこと」は「結果の出ること」だし、「結果が出る」なら「したくないことでもできてしまう」人の話。

   私、「何かをやりたい!」というより、「結果を得たい!」という気持ちの方が強いみたいで。だから、「何がしたいの?」と言われると、「結果の出ることならやりたいし、やりたくないことでもしたい」となってしまう。

市営住宅の共益費で人死にが出た問題について考える。

 こんな記事を読みまして。 訴状などによると、男性が1人暮らしをしていた大阪市内の市営住宅では2019年11月、自治会の班長を住民同士がくじ引きで選ぶことになった。男性は障害を理由に選考から外してもらうよう役員らに求めたが、「特別扱いできない」と聞き入れられなかった。  役員らは集会所で男性と対応を話し合った際、障害があることや日常生活への影響を記すよう要求。男性が書面を作成すると、役員らは他の住民にも書面を見せて男性のことを紹介すると説明したという。翌日の11月25日、男

社会維持の費用を誰かに押し付けることを正当化するための方便としての「正義」説。

 面白い記事を読みまして。 新型コロナウイルス禍に現れたいわゆる「マスク警察」「自粛警察」現象は、人間の攻撃性を顕在化させた。  「人を傷つける心―攻撃性の社会心理学」(サイエンス社)などの著書がある大渕憲一・東北大学名誉教授(社会心理学、現・放送大学宮城学習センター所長)によると、「災害や犯罪などによって社会不安が高まると、それに伴い人々の間で生じる不快感情が攻撃性に転化されやすくなる」という。  もともと他の集団や民族に対して敵対的な、あるいはマイノリティーに対して差別

権力格差はコストの押しつけを可能とするってはなし。

 よく「強い者は弱い者から奪う」っていいますけど、奪うだけでなく、「押し付ける」の方が実態に近い場合もあるんすね。コストを移転するんです。  例えば、何かを決める時、会ってお話ししましょうとなったとしますね。で、その相手が、目上の権力者であるとして、あなたはその人を自宅に呼びつけるでしょうか。多分、呼びつけはしないだろうと思います。むしろ、あなたの方から、「私からご自宅に伺わせていただきます」となるんじゃないですかね。  これ、会っておしゃべりするのにかかるコストがあると

まちづくりは、今ある需要に答える市場活動というより、本来なかったはずの需要を生み出す社会活動なんだよなって話。

 経済学でいう需要ってのは、「対価支払い準備のある欲望」のことなんですね。じゃあ、「支払い準備がない欲望」はなんというかというと、ただの「欲望」なんですね。  例えば、「まちづくりの現場には、若いボランティア労働力へ需要がある」っていうけど、あれはあんまり適当な言い方ではなくて、若いボランティア労働力への欲望はあるが、ボランティアなわけですから、対価支払準備はないわけですよ。力は貸してほしいが、お返しをするつもりはない。そういう不義理なことを考えると、ボランティアはなかなか