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「いまのあなたは本当のあなたですか」という問いから6年目の答え

私が最初の勤め先を去ったのは9月末だった。だからだろうか、秋風そよぐ季節になると、悲しいわけでもないのに、少し鼻の奥がツンとする。


6年前の9月、私は新卒で学芸員として入庁した市役所を辞めた。勤めはじめてからたった1年半しか経っていなかった。抑鬱状態になって、仕事に行けなくなった末の退職だった。 

辞令を受け取るために登庁した最後の日は、やわらかな秋の光が降り注ぐ秋晴れの日だった。

9月末に辞令を受け取る人は少なく、私のほかに市長室に集まっていたのは、出産を控えたお腹の大きな女性と、県外から派遣されていた職員の二人だけ。
私以外の二人は晴れやかな表情を浮かべ、傍らにいる上司と談笑していた。

「上着を持っていないのか」
市長室に向かう私に、私の上司は冷ややかな声で聞いた。
辞令を受け取るために1日だけ来てほしい、有給休暇を消化していた私は電話でそう言われ、これで最後だからと勇気を振り絞って市庁舎に来た。そうか普通は正装で来るものなのかと思っても、いまさら家に帰る訳にもいかなかった。
私は最後の最後まで、本当に非常識で役立たずだった。

私は上司の隣に肩を縮こめて、市長室のソファーで市長が来るのを待つ。
「次に働く先は見つけたのか」
「まだなのか」
「まぁ、如月さんは頭がいいからなんとでもなるだろう」
上司は鼻で笑った。

辞令を受け取ったあとは、机の荷物を黙々と袋に詰めた。誰にも何も言わずに帰るつもりだった。

でも、荷物を詰めていたら、ぽつりぽつりと話しかけに来てくれた人たちがいた。

ハンカチをくれた人。気づいてあげられなくて、助けてあげられなくてごめんね、と言いながら。その人はいつも優しく話しかけてくれた人だった。今もこのハンカチを私はときどき使っている。

ここは、如月さんがいるところではない。ほかに如月さんの居場所がある。それだけのことだから。大丈夫だから。応援しているからね。いつも励ましつづけてくれた人が、笑顔でそう言ってくれた。

如月さんが夢を追うなら、またどこかで一緒に仕事ができるかもしれない。そのときはよろしくね。さよならの代わりにそう言ってくれた人もいた。

最後に頭を下げて、執務室を去った。


電車で帰った。電車は銀色にサラサラと光るススキの中を走り抜ける。

ようやく解放されたんだと思った。


でも、本当につらいのは、そこからだった。


がむしゃらな就活をした。書類選考と筆記試験は通る。でも、面接で落とされる。その繰り返しだった。

落ちるたび、まだ見つからないのか、と笑う上司の顔が思い浮かんだ。
落ちるたび、社会からお前なんかいらないんだよと言われている気がした。

年の暮れちかく、「いまのあなたは、あなたの軸からブレているんじゃないか」と面接官から言われた。

ばらばらとなにかが崩れ落ちていく音が聞こえた。

正直なところ、もうすべてがどうでもよくなっていた。全部投げ出したかった。


もう社会のどこにも私の居場所はない。何もできない。何もしたくない。

お腹に鉛でも入っているように、ずんと身体が重かった。

毎日、心も身体も、服も、髪も、涙に濡れてクシャクシャグチャグチャだった。


もう消えてしまいたいと思った。

消えたい、そうスマホに打ち込んだら、相談ダイヤルの電話番号が表示される。

消えたい、消えたい、消えたい、そう願った。

気づけば、電話をかけていた。


電話にむかって自分の状況を切実に語る私と、こんなところに電話をかけることなんて一生ないと思っていた、と冷ややかに俯瞰する二人の私がいた。

電話の向こうの相談員の方はすごい。
ほんの数分で状況を聞き出して、真っ暗闇の中に光を探す。  

たぶん話す上限時間が決まっているのだろう。少し光が見えてきたところで、もうすぐこの電話は切られる、そう思ったらどうしようもなく不安になった。

「いままで十分頑張ってきたから。今は次に頑張るための休息期間なんですよ」
という相談員の最後の挨拶を遮るように、私から言葉がこぼれた。

怖いです。
休むのが怖い。
いつまで休めばいいんですか。
休んでもなにも変わりません。
私が休んでいる間にも社会の時間は進みます。
どんどんブランクばかりが長くなります。
そうしたら、ますます社会に戻りづらくなります。


相談員は、それまでの穏やかな口調とは一変して、きっぱりとした口調で「ひとつ質問させてください」と断ると、私に尋ねた。

「いまのあなたは、本当のあなたですか。」


どん、と質問が自分のなかでこだまする。

涙が頬に張りついて、ボサボサの髪でベッドの中にうずくまっている自分。
消えることを願っている自分。
何ももっていない、何もできない自分。

ああ、これが私なんだよ。

そう思っていたはずなのに、口から出たのは正反対の言葉だった。

「ちがいます」


私はこんな人間じゃない。
こんなの私じゃない。

私は何も諦めたくない。
もっていた夢も手放したフリをしてずっと抱えていた。

消えたくなんかない。
何もできない何もしたくないなんて大嘘だ。
本当は、全部、全部、全部掴んでやりたい貪欲な人間なんだから。

「そうでしょう。ちがうでしょう。そう思うなら、いまは休むときです。本当のあなたは、何もできないと泣いているあなたではないはずです。あなたはいままで必死に努力して熱を燃やしつづけてきたのでしょう。でも、いまのあなたにはその熱を燃やせる力がない。だから、本当のあなたの力が発揮できるように、いまは休んでください。」

これ以上私がこの電話で引き留めてしまったら、電話を必要としている人が困るかもしれない。
お引き留めしてすみませんでした、そう言って電話を切った。


あのとき、電話に出てくれた相談員の方には感謝している。

ちがいます。こんなの私じゃない。
そうやって自分を否定することで、私は前を向いた。

ただでさえ競争が激しい世界なのに、たった1年半で辞めた無責任な人間がもう一度学芸員になることなんておそらく不可能だ。そう思いながらも、諦めきれずに、大学院に進学して、もう一度学芸員を目指した。

その頃、まわりの友人たちは、結婚したり、出産したりしていた。まわりが次のステージへと進んでいくのに、自分だけが取り残されている。大切な人のしあわせを心から祝いたいのに祝えない自分が大嫌いだった。

院試の勉強をしている間、ぼたぼたと英単語の参考書に涙が落ちた。勉強をしたからといって何かになれる保証なんてない。でも、勉強するしかなかった。涙を飲みこみながら勉強した。

学び舎に戻ってからも、これでよかったのかと自問する日々は続いた。
だけど、学んでいる間、私はやっぱり学んでいることが好きなんだなと思った。もう学芸員になれなくてもいい。それでも、学びつづけて、学んだことを伝えていく手段はいくらだってある。

そう思いはじめた矢先、学芸員の試験に受かった。

いまの私は思い描いていた学芸員像からはほど遠いが、憧れにむかって泥臭く足掻いている自分のことは嫌いじゃない。

ちょうど今年の9月で、再就職してから1年半が経った。

いまの自分がいるのは、あのときの自分を否定させてくれた人がいたからだと思う。

だけど、私は、この文章をサクセスストーリーとして描きたかったわけではない。


あれから6年たった今の私は、

あのときの私も私だった 


と思うのだ。

いまもおなかの底に鉛があった感覚を生々しく覚えている。

自分のことしか考えられない、ちっぽけな人間。
周りを広く見渡せなくて、視野が狭くて、つらいことから目を逸せなくなってしまう人間。
何も持っていない、何もできない人間。

それも、私だ。

同じ私だから、いまも小さいことでくよくよ悩むし、人のしあわせを素直に喜べないことも多いし、なんにもしたくなくなることだってある。

でも、やっぱりできることなら、誰かのしあわせを願える人でありたいし、誰かの笑顔のためにできる努力を最大限したいと思っている私もやっぱり私だ。


こんなの自分じゃない。そうやって否定することで前を向けるときもあるし。

これも自分だ。そう認めてあげたくなる日もある。


ぶれぶれで、ちっぽけで、弱々しいくせに、負けるのは嫌。

面倒くさがりなのに、面倒なことに足を突っ込んで、まわりを疲弊させる。

最低なヤツだなと自身に呆れながら、いいじゃんいいじゃん人間じゃんと面白がってもいる私。


これが自分だ、そう規定することで、自身を理解するきっかけになったりもするのだろうから、私は別にそれを否定したいわけではない。

だけど、人間って、そんな一つの定義に括れるほど単純なものではないような。あまり自分のことも、他人のことも、こういう人間だと決めつけたくない。


だから、いまの私にあのときの質問を投げかけられたら、ちょっと困るなと思う。

いやいや、本当の私はもっと頑張れるやつなんで、と言い訳したい気もするし、これくらいのびのびしている私が本当の私なのかなとも思ったり。

いまの自分が本当の自分かどうかなんてわからないし、まだ本当の自分を決めたくない。

あのときあんなにも胸に迫った質問に、こうして穏やかな気持ちで向き合える日が来るとは思っていなかった。

でも、ときどきは、この質問に真剣に向き合って、まだまだこんなもんじゃないぞと自分を鼓舞したい気もする。