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家に帰るということ
故郷に帰ると、時間が地層のように見える。
普段暮らす街には、「いま、ここ」の時間しか存在していない。
故郷の町はどこを見渡しても、いつかの「あのとき」が目の前の景色に重なる。
11月末、実家に帰った。
年末には夫が単身赴任先から帰ってくるから家でのんびりしたいということもあって、夫が帰って来る前にひとりで帰省することにした。
私はまっすぐ祖母の家に向かった。
お盆に帰省したときには祖母は入院していて会えなかった。祖母の退院後、母が付きっきりで祖母の介護をしている。
祖母の家に着くと、祖母は眠っていた。私は母と一緒にお昼を食べる。
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母はずっと祖母の介護をしていて疲れているだろうなと想像していたけれど、いつもどおりたくさん食べて、まんまるな笑顔の母だった。
母は感情が顔に出やすくて、驚いたときなんか、何も話さなくても、見ているこちらがぎょっとしてしまうような表情をする。
だから、楽しそうにおしゃべりする母を見ていると、私が帰ってきてうれしいんだなということが、そう言われなくても伝わってくる。
母がお客さんから頼まれたものを届けに配達へ出かけた。母は祖母が営む小さな電気店をずっと手伝っている。
母が出かけてすぐ、祖母がベッドから起きて私にヤクルトを出してくれた。
「旦那さんは、いつ帰ってくるの?」と祖母は私に尋ねる。
夫が単身赴任をしていることを母から聞いていたのだろう。
祖母は話す言葉も、記憶もはっきりしているが、私の知っている祖母と表情がちがう。
昔から、私にとって、祖母は自慢のおばあちゃんだった。
祖母は、私が小学生の頃、授業参観や運動会や発表会にいつも来てくれていた。私は祖母が来てくれることがうれしかった。
祖母はちょこんと小さくて、私の母とおなじくまんまるな顔で、笑うと華があって、私はこっそりと、私のおばあちゃんが一番かわいいと思っていた。
祖母は見た目もかわいらしくて若々しかったけれど、心はたぶんそれ以上に若々しかった。祖母は安室ちゃんが好きで、コンサートビデオを買って熱心に見ていたし、ジムに通ってトレーニングをしたり、毎週のように一人で車で映画館へ出かけていた。きっと世間一般がイメージするおばあちゃん像とはちがっていたけれど、私はそんなチャーミングな祖母が大好きだった。
でも、そんな祖母にも時間は平等に振り分けられている。
いつまでも若々しくみえていた祖母にも、年齢が追いついてきているように見えた。
少し前の祖母なら母に「ももちゃんと出かけてきたら」とか「今日は家に帰って大丈夫だよ」と言えたのだろうけれど、そう言えないほど祖母は心細そうで、不安そうだった。
ぎゅっと眉間に力が入って、痛みに耐えているような表情の祖母を一人にはできない。
母はもともと毎日祖母の家に通っていたから、ほぼ母ひとりで祖母の介護をしている。たまに母の妹である叔母たちも来てくれるが、だいたい一泊や日帰りで帰ってしまう。それぞれに家庭も仕事もあり、仕方のないことではある。
誰も悪くなくて、誰かを責めるのも、悲しむのもちがう。
でも、老いていく祖母とふたりきりで過ごす母は毎日どんな思いをしているのだろうと想像してしまう。
毎朝、母は私と妹との三人のLINEグループ(父はスマホを使わない)で「今日もいい一日になりますように」とメッセージを送ってくれる。
恥ずかしながら、今日もいつものメッセージが来ているなと思うだけで、特に返事をしないことも多かった。
いったい母はどんな気持ちでこのメッセージを送ってくれているのかと胸が詰まった。
この日の夕方、友人が私の実家に遊びに来てくれることになっていた。
夕ごはんは、仕事から帰ってきたばかりの父に用意してもらう。父は仕事から帰ってきて疲れているのだから、私が用意すればよさそうなものだが、私は実家では料理する気にならない。
だって、父の料理が食べたくて帰ってきているのだから。
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私が料理の写真を撮っていると、父が少し困った顔をする。
「写真を撮ってくれるのはうれしいんだけど、撮ってくれた写真をあとから見せてもらうと、料理がワンパターンで、彩りが地味で、ちょっと恥ずかしいんだよね」と言われる。
何を言っているんだろうと、私は笑ってしまった。
父の料理は十分にバリエーションもあるし、美しい。そして、最高においしい。
私はいろんなところでおいしいものを食べているが、父のつくってくれるごはんよりおいしいものを知らない。
友人も、おいしいおいしいと父のつくったごはんをパクパク食べている。
幼稚園のときから仲良くしている友人とこうして一緒にごはんを食べていると、幼かった頃にタイムスリップしたような心地になる。
食後は、友人と映画『ルック・バック』を観た。prime videoにあって気になっていた映画だが、なんとなく一人で観るのがもったいないような気がして観ずにいた。
友人とは、小学生の頃一緒に絵画教室に通っていたから、この映画を一緒に観る相手として、これ以上ふさわしい人はいないだろうと思った。
前を歩く背中を見て絵を描きつづけてきた子と、いつも自分ついてきてくれるその子を振り向いていた子、そんな二人の過去を回想する物語。
いつも前で引っ張っていた彼女は、振り向けば、いつでもそこに自分を信じてついてきてくれる彼女がいてくれたから進んで来れたんだよね。引っ張ってあげている、そう思っていた相手に実は引っ張ってもらっていたんだと気づくことが私にもあったな。
努力できることも才能だよ。
なんて思いながら観た。
小学生の頃、絵画教室のお題で「大切なもの」を描いてと言われたときに、友人が迷いなく描きはじめたのが私の姿だったことを私はいまも覚えている。
友人の描く絵はいつも力強くて温かかった。
彼女がいなければ、私は絵を好きになることも美術館の学芸員になることもなかったと思う。
映画を観たあとで、「絵を描きたくなった」と友人が言うから、「また描いてほしいな」と私は言った。
次の日の朝、目覚めたときには朝ごはんができていた。
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この日は、父もお休みだったから、父とドライブする。
私の好きな食器屋さんを見て、大好きな中華料理屋さんに行くいつものコース。
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家に帰ってきてから、おいしく夕ごはんが食べられるようにひとりで散歩へ出かけた。
家のまわりの散歩道は、どこも柴犬クッキーと一緒に歩いた道だ。
この土手の坂道を何度一緒に駆け上がっただろう。
河原のススキや葦が風にゆれる。初冬の夕暮れどきの細長くやわらかな陽の光が川面を撫でている。
そんな目の前の景色は実家で暮らしていた頃と全然変わらない。
でも、隣を歩くクッキーはもういない。
私も、みんなも、少しずつ、確実に歳を重ねている。
私が実家に暮らしていた頃、父は母や祖母を連れて、よくドライブに行っていた。自分の両親を亡くしている父は、父にとって義母である私の祖母が元気なうちに、できるかぎりのことをしてあげたいと話していた。
普段遠くに暮らす私は、祖母にも母にも父にも何もしてあげられていない。
実家で暮らしていたときだって、私はいつも自分のことに精一杯だった。
みんなでどこかにでかけようと誘われても、勉強したいからと言って断ったことが何度あっただろう。
「今日ももちゃんは行かないの?」と寂しそうに尋ねる祖母の顔を思い出す。
家族と過ごす時間なんて、いつまでもつづくと思っていた。
私が休みの日も勉強していたのは、必要に迫られていたからではない。
何もしていないと不安だったから、普段の勉強が足りていなかったから、自分に自信が持てなかったから。
私は二度と戻ってこない時間を自分のためにしか使えなかった。
眼前の黄金色に染まる景色が滲む。
向こうから秋田犬が歩いてくる。私とすれ違う前に、秋田犬は飼い主さんと土手を下っていった。土手を下りながらも、秋田犬は何度も私のほうを振り返る。
そういえば、クッキーも私が泣いていると心配そうに私のことを見ていたことがあった。
クッキーが見ているかもしれない。
涙を拭いて、土手を走って下って、家へ帰った。
家では、昼寝から目覚めた父が、夕食を用意してくれていた。
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夕食は母も一緒に食べた。
祖母をひとりにして大丈夫なのだろうかと思ったが、祖母は夕方になると調子が落ち着くらしかった。
日帰り温泉に母と行こうとすると、母は財布がないと言い出す。祖母の家に忘れたのはほぼ確実だったが、心配だからと温泉に行く前に祖母の家に立ち寄った。
祖母の家に着くと、祖母は「財布はそこにあるよ。電話したのに出ないんだもの」と笑っていた。
私が知るいつもの祖母がそこにいた。
薬が効いているのか、祖母は前日の日中に見たような、つらそうな表情を浮かべていない。
朗らかに、上品に笑ういつものおばあちゃんだ。
「ももちゃんがもってきてくれた苺、すんごくおいしかったよ。なかなかあんなにおいしい苺はないよね」とちょっと食いしんぼうなところも、やっぱりいつものおばあちゃんだ。
けれど、私の知る祖母の姿ばかりを求めてしまうことは、祖母にとっては酷なことなのかもしれない。
どんな祖母も私の祖母で、私はどんな祖母だって、受け入れたい。
でも、もう私の知る祖母ではなくなってしまったのかもしれない、と覚悟していた私は、いつもの祖母にもう一度会えてうれしいと思わずにはいられなかった。
そして、母が見ているのが、苦しそうな祖母の姿ばかりではないことにも安堵した。
母が毎朝祈ってくれるように、私も毎日母と祖母が楽しく過ごせるように祈りたい。
帰る日の朝、父はビーフシチューをつくってくれた。
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父のつくるビーフシチューは、お肉がとろけるようにやわらかくて、野菜は丁寧に面取りされていて煮崩れることがない。
父はじゃじゃーんと、私の夫からのお土産であるピンバッジを帽子につけて嬉しそうにしていた。
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「今夜も、あたたかくして、おやすみ」
という記事を読んでみてください。
いつもは駅まで母が送ってくれるが、母は祖母の家にいるから、父が送ってくれた。
この日、私は最初の職場で出会った友人と仙台で遊ぶことになっていた。
「今日も一日楽しんでね」と父から言われ、
「お父さんもね」と私が答える。
「ももちゃんと一緒にいられたから、もう十分楽しんだよ」
父は笑っていた。
「いつでも帰っておいで。いつでもおいしいごはんつくって待ってるから」
父に見送られて、私は駅のホームへと向かった。
友人とは仙台駅で待ち合わせをして、北仙台を歩いた。
彼女からは、頻繁にLINEが送られてくる。
特に用事があるわけではなく、おいしいコンビニスイーツを見つけたとか、通勤路の紅葉が綺麗だとか、そんな何気ない内容のもの。
たいした用事もないのに連絡をもらうのが、なぜだろう、私はすごくうれしい。
いつでも連絡していいよって言われているみたいだからかな。
離れて暮らしていても、いつでも話せるんだと安心できるからかな。
彼女と向かった先は、カフェ「kusakannmuriくさかんむり」と、絵本とおもちゃの店「横田や」と輪王寺。
仙台には街の中心部にもいいところがたくさんあるけれど、少し外れたところにも素敵な場所がたくさんある。本当にいい街だよなぁと帰仙するたびに思う。
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この日のプランは私が決めた。パンとお菓子が好きで、図書館司書として児童書を担当していて、寺社仏閣の好きな友人が楽しんでくれそうなコースにした。
友人と会うまで、私は少し湿っぽい気分でいた。
でも「うわー、おいしい!」「このお店最高!いつまでもいられる!」「見て見て!紅葉きれいだよ」と全力ではしゃいでくれる友人と一緒にいたら、そんな湿っぽさは吹き飛んで、ガツンとエネルギーが注入された。
だれかを大切にしたいなら、まずは自分を大切にするんだよ、と元気いっぱいの友人に教えられた気がした。
それから、こまめに連絡をくれる友人のように、私も大切な人たちに連絡しようと思った。
家に帰ると、普段過ごしている場所よりも時の流れを実感する。
歳を重ねていく両親や、だんだん活気を失っていく故郷の姿と向き合うことになるから。
私は故郷に思い入れがあるというよりも、未練があるのだと思う。
その未練をないことにすることもできないし、未練があるからといって、私を必要としてくれる場所から離れることもできない。
それでも、私にもできることは、きっとあるのだと思いたい。