生きてこそ、命あるからこそ ①
私は、中学1年生の夏休み1週間前から学校に通えなくなった。
行けなくなった日の朝はいつも通りの朝だった。
朝起きて、朝御飯を食べて、身支度をしていた。
しかし準備をしながら、ふと時計を見るといつも家を出ている時間を少し過ぎていた。
その瞬間だった。
私は糸が切れてしまったように、泣いていた。
そして、窓ガラスを叩いていた。
泣きじゃくりながら、何度も...。
私は気に入らなかったのだ。
たった数分、いつも家を出る時間より遅れていただけで。
毎朝のルーティンを私は同じように繰り返し、同じ時間ではないと嫌だったのだ。
今思えば、そんなことで泣いて、そんなことで窓ガラスを叩いた自分が不思議だ。
そのあとは、机に突っ伏してワンワン泣いた。
まだ全然間に合う時間なのだから、気持ちを切り替えて登校すれば良かったのに、その時の私にはそんなこと頭にはなかった。浮かばなかった。
いつも通りに、同じ時間に家を出れなかったことが許せなかったのだ。
その時の私は、毎朝同じルーティンをすることで安心を得ていたのだと思う。
そこからの私の人生は怒濤というか、なんと言うか...
簡単に言えば底辺を歩んでいたのだと思う。
夏休みの部活にも行かなかったし、課題もそんなにやった記憶がない。
2学期の頭からまた少し学校には行ったけど、体育祭が終わったら学校には行かなくなっていた。
それからはしばらくは家に引きこもり。
朝起きるのも家族で一番遅いし、日中はもっぱらテレビだった。
好きなものを食べ、テレビを見てゴロゴロするという生活をしていた。
勉強などやらなかった。
もちろん体重は増えていった。
両親が心配になり、中学2年生の春頃に大学病院の精神科にかかったが、特に薬も出なかったので通わなかった。
中学3年生の頃は、相談教室に通えるようになった。
修学旅行も前日に行くことを決めて、慌てて準備をして行った記憶がある。
そんなことが出来るなら、他のことも出来そうな気がするが...。
3年生の1年間は、周りの友達や先生のおかげでほぼ毎日、相談教室には通えていた。
動くようになり、体重も普通くらいには戻っていた。
短期間で勉強し、高校も私立には受かった。
しかし、入学式を終え、数日経った頃にはもう学校には行けなくなっていた。
元々体型にコンプレックスを持っていた私は、レコーディングダイエットにのめりこんでいった。
私の性格が超真面目が故に、一度始めたことはなかなか終わりにはできなかった。
だんだんと落ちてゆく体重、着れる服が多くなっていくことがすごく嬉しくて、どんどん体重を落としていった。
学校へ行かない代わりに、そっちにばかり力を注いでいたのだと思う。
ダイエットを始めて1年経った頃、体重はかなり落ちた。
身長162センチ、体重35キロ。
私は中学3年の終わり頃から、精神科に通うようになっていた。
もちろん精神科の先生はそれを許すことはなく、入院になった。
②へ続く。。。