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専業主婦だったわたしが映像翻訳者になるまで④ついに掴んだ合格とプロデビュー
4回目のトライアルに落ちた後に、第二子となる長男を出産した。
映像翻訳のことはいったん棚上げして、産後は育児に専念した。約10年ぶりの赤ちゃんは可愛くて仕方がなかった。長女のときは心にも時間にも余裕がなかったが、30代となって育児に専念できる環境にも恵まれ、育児を思う存分に楽しむことができた。マタニティスイミングで出会った仲間と定期的に会って遊んだり、児童館の乳児クラブに行ったりしてママ活に勤しみ、何ヶ月かが過ぎた。
育児は相変わらず楽しかったが、ひとたび産後ハイが落ち着くと、心の片隅に「やり残している挑戦」というモヤモヤが巣食うようになった。将来のことも考えるようになった。
第一子を出産した頃は結婚や妊娠を機に仕事を辞める女性がたくさんいたが、10年で世の中はガラリと変わり、専業主婦は少数派になった。保育園は雨後の筍のように急増しているのに待機児童は減らず、数少ない幼稚園は常に園児を募集していた。そんな世の中でいつまでも専業主婦ではいられないと思ったし、事実子どもを育て老後の資金を蓄えるにはお金を稼がなければいけない。仕事をしなければ。
そして、産後半年が過ぎた頃にもう一度トライアルに挑戦することにした。「映像翻訳の仕事がしたい!」というよりも「これしかない」「何としてでも合格しなければ」という気持ちが強かったように思う。ブランクもあったし、正直自信はなかった。これまでの連敗で「どうせ今回もダメなんでしょ」という諦めもすっかり醸成されてしまっていた。
しかし、蓋を開けてみれば合格だった。(なぜあのときだけ合格だったのか、今でもよく分からない。)うれしいというよりも、ホッとしたという気持ちが大きかった。不合格のまま諦めてしまったら一生悔いが残るだろうと思ったから、そうならなくてよかったという安堵。
ホッとしたのも束の間、はたして赤子を家で育てながら仕事ができるのか?という現実問題に直面する。(←受ける前に考えとけ。)トライアルに合格するとOJTを経てプロデビューという流れになるのだが、いっそのことOJTを辞退してしまおうかという考えが頭をよぎる。だが、みんな映像翻訳者になりたくて受講してトライアルを受けるわけで、合格して辞退する人なんて普通はいない。なので、断るひまもなく自動的にOJTが組まれてしまった。
そして、OJTが始まった。ロサンゼルスのクラスメイトは翻訳者になりたいというよりも単に留学したいという動機で通っていた子が多かったし、後半は通信だったので、それまでわたしには同志と呼べる人がいなかった。OJTで同じチームに配属された同期がわたしにはじめてできた仲間だった。わたしと同じくらいかそれ以上に落選を繰り返していたそうだ。トライアルに何度も落ちるというのはごく普通のことと知って少し安心した。
はじめてのチーム翻訳、人の意見を全然聞かない人もいれば、積極的に意見を交わそうとしてくれる人もいて、人と一緒に働くことの難しさと面白さを両方味わうことができた。(わたしのスタイルではないけれど、他人の意見を気にすると余計な時間と労力がかかるから気にしないと割り切ることもひとつのやり方かとは思う。この業界でやっていくには、そのくらいのタフネスが必要な気もする。)同期の一人とは、その後もお互いに励まし合える間柄になった。
約1ヶ月ほどのOJTを経て、ついに映像翻訳者としてプロデビューを果たすことができた。映像翻訳者になると決めてから3年近い月日が経っていた。
あのときは、この先の道がもっともっと茨の道になることを分かっていなかった。結論から言うと、わたしはもう映像翻訳の仕事はしていない。
続きの話はまた近々。