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「今、対象に気づいている」-「対象」=「今の気づき」

瞑想に「対象」は必要でしょうか。
瞑想に「対象」を設けているのは、以下の点が大きな要因かと思います。

  • 対象への集中が深まれば、対象と一つになり、主体客体の二元性から解放されるため。

  • 「今の瞬間」から外れないようにするため。

  • 身体の微細な感覚を注意深く観察することは思考と両立できず、思考が止まるため。

一つは、集中の瞑想となり、「瞑想の時間」に瞑想することになります。
次は、呼吸に注意を向け続けるという手段が多いかと思います。
最後は、呼吸を対象とすることよりも、もっと意図的な作業が必要になるでしょうか。

これらは、いずれ卒業を必要とされると思われます。

日常生活を「日常生活の在り方」から「別の在り方」で生きることが、着地点だと思います。理想は、常に「瞑想の在り方」で生きられることかと思います。

「今、対象に気づいている」-「対象」=「今の気づき」

この公式を、どう日常生活に取り入れれば良いのか?
「瞑想をする時間」でしかできないことなのか…?
どうにかできないか…?

「瞑想をする時間」となっても「短い時間で数多く」というやり方でしょうか。

模索は続きます。

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