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幸せになるって勇気がいる。

noteを開いて最初の1行を書いては消しそんなことを繰り返していたら
いつの間にか最後の投稿から1年以上の月日が流れた。
書いていない間にも新たにフォローしてくれる人や
過去の記事に「好き」してくれる人はいて
なんだかnoteにもまだ居場所があるのかと温かい気持ちになった。

1年前の自分が想像もしていないことが、この1年起こり続けた。

嘘をついているわけではないけれど、
言わないこと、言えないことが多くなった。

今までだったら、「のんちゃんらしいね!」
って聞いてもらえる安心があった。

「この人はこれを話しても平気だろうな」って安心から
「この人にこれ話して平気かな?」とか不安がよぎって口をすぼめる。

そんなことが増えた1年だった。

仕事も守るべきものが増えるたびに、上手く言葉が出なくなった。
それでもやっぱり書かないと私はどんどん自分がわからなくなるから
匿名でエッセイを投稿して採用してもらえたり
日記として自分のために文章をかいたり。
そんなふうに過ごしていた。

思っていること、書きたいことは溜まっているはずなのに書けない。
わざと忙しくさせて見ないふりをした自分の気持ち。
そうやって自分の気持ちを雑に扱ってると、
特大ブーメランで自分に還ってくる。
2月末、ついにやってきた。

久々に
もう人生どうにでもなれ
全部を投げ出してみたくなった。
投げ出す気力もなくて
無の日々が数日続いた。

ある研究で
「人生で最もストレスが溜まるイベントを4つ答えてください」
という質問に対し
「結婚、引越し、転職、子供を持つ」という4つが
ほぼ全員の解答に見られた。
という記事を見た。

私はこの1年でこの中の最初の3つをこなした。
引っ越しに関しては2回。

知らず知らずのうちにストレスが溜まっていたのか
納得。

27年間生まれ育った藤沢を離れ奈良に越した。
家族のような職場を離れ新たな仕事についた。
自分で望んで決めた。
今も後悔はない。
何ならありがたいくらい恵まれている。
新たな職場の人間関係も文句なし
趣味のボルダリングでも友達はでき
ボルダリングや飲み会、
古着巡りにとても日々は楽しいはず。
藤沢の仲間も変わらず遊んでくれ
本当に人運に恵まれ幸せだと思っている。

あ。この感覚。摂食障害の歯車が
回り始めたときに似ている。

あの頃も希望した高校に入って
その高校に入る1番の理由だった吹奏楽部で
思い通りトランペットが吹けて
1年生からコンクールに出させてもらえて
同じ中学からの子が1人もいない学校だったけど
友だちもできて日々充実して
怖いくらい何もかもうまく行っている気がして。

そんな風に思っていたら摂食障害になって
トランペットも高校生活も失った。

今回も全部がうまく行っていると思ったら
1人暮らしに戻った。

でも摂食障害も1人暮らしに戻ったこともどこかで
「あー。やっぱりな」と思っている自分がいる。

「不幸が幸せな人っているじゃん」

そう友人に言われた。

「えー。別に不幸になりたくないし。」
「幸せになりたいと思ってるよ。
ていうか、そこそこ今幸せなんだけどな〜」
そう答えたけどなんとなくこの言葉が引っかかっている。

「幸せはいつまでも続くわけない」
友達や大事な人ができると「いつかは疎遠になるか嫌われるだろうな」

そんな思考がいつも付き纏う。

大事な人ができると
この人はどこまでわたしを嫌わずにいてくれるんだろ。
と無意識に試し行為をしてみたり。
小さいときからからずっと、今も。
友人関係も失っても傷つかない距離を保つ。

ボルダリング仲間や藤沢の仲間も、家族も、
自らその枠組みに属しておきながら、
いざ、その人たちと深い関わりになると、
怖くていつでも逃げ出したくて、そこから離れたくなる。

ずっとずっと何にも属さず、染まらず、生きてきたい。
私にはずっとつきまとう欲求もきっと
「この幸せになると不安になる」
から来ているのかもしれない。

歳を重ねるごとに寂しさが増す
心に文字通りぽっかりと穴を開けていく。
失っていく。
そう思ってたけど
もしかしたら
自分で壊しにいっているのかもしれない。

幸せになるって勇気がいる。

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高栖望
読んでいただいて、ありがとうございます。 自分のために書いた文章が 誰かの心にも何か残ったら嬉しいです。