見出し画像

帰る場所

2月中旬に自分にとっては必要で急な用事が重なり緊急事態宣言が出ていたけれど、産まれてからつい2ヶ月前まで暮らしていた藤沢に帰省した。
きちんと自粛している人、ごめんなさい。

まだ相方と遠距離恋愛だった頃、奈良から藤沢に帰る時は夜行バスで横浜に降りたってもまだ家までは遠い気分だった。けれど、今回、横浜に着いた時点で「ただいま」という気分になっていた。

奈良に引っ越してまだ2ヶ月くらいしか経っていないのだけれど、どことなく懐かしさもありつつ、やっぱり自分の「HOME」の様なおさまりの良さと道を調べず目的地にたどり着けること、だいたいどのくらいでどこに行けるか調べずとも予測がつくこと、エスカレーターで左に立っていても浮かないこと、富士山が見えること、とか、藤沢に住んでいる時は当たり前だったことにありがたさを感じながら帰路につく。

急用の合間に以前の職場にお邪魔したり、自分が藤沢で住み着いたボルダリングジムに顔を出したりした。
行けば昨日も自分がいたかのように当たり前にみんな迎えてくれるからすぐ馴染めたけれど

2ヶ月経っているのだ。

と感じた。

言葉で表現するのが難しいのだけれど、懐かしさや心地よさ、昨日もそこに自分がいたような錯覚も覚えるのだけれど、2ヶ月前まで私が収まっていた空間とはやっぱり少しずつ変わっている。

そんなふうに感じた。それがよいとか悪いではなく、自分が奈良での新生活を2ヶ月過ごしている間にみんなも藤沢で2ヶ月過ごしているのだ。

と感じた。

帰省前

私は藤沢に帰る直前、気分が下がっていた。
仕事もまだ決まっていない中、少しずつ生活は慣れてきて、暇な時間ができ、私はこのままで本当にいいのだろうか?とかもっとするべきことがあるんじゃないか?とか不安になったり、藤沢に住んでいた頃はそうやって不安になった時、職場やボルダリングジムの仲間に話してなんとなく不安を解消していたがそれもできず。ボルダリングジムや職場やカフェ、美容院や整骨院と、そこに行けば会える友達も近くにいなかったりとだいぶ気分が下がっていた。

もちろん、一番大事な相方は近くにいて一緒に暮らせて幸せな毎日を送っている。けれどここ数年、自分がどこに行っても心地よい居場所を手に入れていたから、それがぽっかりとなくなった喪失感に近いものを毎日感じていた。

ほしいものはない。

今回の帰省で藤沢の仲間と会って、藤沢に行けばこうやって会えることがわかったからなのか、距離なんて関係なく今までと変わらずみんなが接してくれることがわかったからなのかよくわからないけど、奈良に帰ってきてから寂しいと感じることは少なくなり少しメンタルが強くなった気がする。

奈良に引っ越してから新しいコミュニティを持ちたいと口では言いつつ、実はあまり求めてないことも今回わかった。
もちろん新しいコミュニティも大歓迎だ。
だけれど、特に摂食障害とうまく付き合えるようになってきた頃からのこの5年間でできた自分にとって最高といえる仲間たちをまず大事にしたいと思った。
そしてその仲間たちも5年間いや、27年間の藤沢生活がいろいろ繋がったからこそ出会えた仲間たちだ。
まだ2ヶ月の奈良生活と比べるものではないとやっと頭で理解した。地に足つけて今あるものと向き合いながら少しずつ、広がるものは広がるし、と大きな心で暮らしていこうと思った。

そんなふうに、藤沢から帰ってきていい意味で寂しさを置いて奈良に帰って来たように思う。
「奈良に帰って来た」と表現しているように、藤沢から奈良に戻ってきた時、不思議と「ほっと」している自分、「帰って来た」と思っている自分がいた。反面、あれ。私の家ってどこ?みたいに思う自分もいて、それはとても不思議な感覚だった。

以前の職場に通っていた認知症のばあちゃんの1人に「私の家どこ?家に帰りたいんだけど」というばーちゃんがいた。

そうやって聞いている時は今、実際に住んでいる家のことを言ってるではなく、ずっと昔に3人の息子さんと旦那さんと暮らしていた頃の家のことを話している。

今、1人で住んでいる部屋を見ればそのばーちゃんは、私の部屋とは言うものの、その部屋にいながら、「でも私の家は○○」と、息子さんと旦那さんと昔に住んでいたマンションの名前を口にする。

ばーちゃんにとって今住んでる部屋も確かに今、住んでいる家なんだけれど、そうやって言ってる時のばーちゃんは家を求めてるのではなく、息子さん3人と亡くなった旦那さんと暮らしたあの家族団欒の温かさを求めてるのだと思う。
実際にそのばーちゃんはそういうときは家に帰って一人になるより、しばらく通いの場でみんなでご飯を作ったり、机を囲んで話していたり温かい場で過ごしていると落ち着いてきたりする。

今、考えるとそのばーちゃんはとても幸せなんだと思う。5分前のことも忘れちゃうけど感情とともに息子さんたちと旦那さんと過ごした日々は忘れていない。まあそれが故に、今と過去を行き来し、頭の中は大混乱で毎日大変だとは思うのだけど。でもそれだけ記憶に残るほどに温かい家族だったのだと思う。

今なら前よりもう少しあのばーちゃんによりそえるかな。
そんなふうに思う。

いつか自分がもし長生きして認知症になっちゃったら、心地よい感情を伴って思い出せる場所やことがたくさんある生き方をしたい。


いいなと思ったら応援しよう!

高栖望
読んでいただいて、ありがとうございます。 自分のために書いた文章が 誰かの心にも何か残ったら嬉しいです。