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高速シャッター
久しぶりに、「心のシャッター高速ガラガラガッシャン!」が発動した。
誰かから言われた言葉に反応して、泣くでも怒るでもなく言い返すでもなく、一瞬で心を閉ざし黙り込むという、主に家族に対して時折繰り出される、私の得意ワザだ。
目の前に起こることは自分の思考が現実化したものだと知ってからは、ある程度客観的に受けとめられるようになってきた。
目の前にある現実は、自分の意識の内側がどうなっているかのバロメーター。
なにかが起きたり、誰かの言動に反応した時、それって、私の中がどうなってるってことなんだろう?って分析するのは面白い。
「あ~、なるほどね」って思う時もあるし、「え~、そんなこと思ってるつもりないのに~」って思う時もある。
けど…
「あなたが○○してあげないと○○さんが気の毒だから、してあげなさい」
私は、こういう罪悪感を刺激される系にめっぽう弱く、冷静になれない時がある。
それは、
できる限り誰にも悲しい想いや寂しい想いをさせたくないという、私の優しさでもある。
期待に応えていい子でいたい、評価されたいという、自信の無さでもある。
私がそれをしてあげないと、その人は自分で自分を満たすことができない人なのだという、人を見下した傲慢さでもある。
してあげなさいと言われた時、「いや、私、それしたくない。」よりも、そうするべきという固定観念や罪悪感の疼きが大きいと、いい子でなくなる自分を見たくないから、嫌々ながらもそれをすることになる。
「なんでそんなことしなくちゃいけないの?」っていう抵抗感のほうが大きくて、でもそれを口に出して言えない時、シャッターは高速で閉まる。
でも、その瞬間の、私の本当の気持ちはこう。
「ほーらやっぱりわかってくれない。」
「ほーらやっぱり私の本当の気持ちなんて聴いてくれない。」
「ほーらやっぱり私の気持ちより他の人の気持ち優先するんだ。」
完全に拗ねてる。
以前は、この気持ちの扱い方がわからなくて、そんなこと思う自分を悪だと責めて抑圧したり、逆にそう思っても仕方なかった理由を探して頭の中で自分を正当化したりしてた。
でも今はその扱い方がわかったよ。
それは、
「何とかしようとしないこと」。
何とかしようとしないで、ただ、「ああ、そう思ってるのね」って、自分を見守る。
涙が出るようなら止まるまで泣き、怒りたいなら枕をバフバフ殴る。
そういう自分がいてもいい、って思えるから、誰かに話すこともできるし、こうやって書いて吐き出すこともできる。
この出来事をどう考察し、どんな気づきを得るか、まで行きたいところだけど、それはまぁ焦らず、か。
そのまま受けとめられるようになっただけでも、ずいぶん成長したもんだ♥️