羽生善治九段【将棋のこと】
私は将棋を観るのが好きだ。
そして山崎八段ファンです。
先日の王将戦第5局、凄いものを観せて頂きました。序盤も早々から飛車を交換しての角交換。他駒が大して動いていない状況で両者の飛車角が駒台に置かれているというその光景には怖れ慄きました。また、その感慨に耽る手数も行かないうちに今度は惜しみなく角、更には飛車と盤上に打ちつけて戦いを挑む羽生善治九段。駒台に同大駒を控えさせたままで迎え撃とうとする藤井五冠との対比もあり、天才同士の対局とはこんな盤面になるものですかと驚愕いたしました。
私が将棋にハマり出したのは十数年前。当然、羽生九段は強かった訳ですが既に落ち着いた第一人者でありまして七冠フィーバーを起こした勢いと天賦の才についてはよく解りませんでした。とにかく強い、ただ強い、それでも七冠に返り咲く姿はさすがに想像出来ない、そんな感じの強さでした。だから七冠であった全盛期の強さがよく解らない。天才の全盛期とは如何なるものなのか、藤井五冠が現れるまでの私はまだ知らなかったのだと思います。そんな藤井五冠が今、全盛期に向かって存分に天賦の才を発揮しています。記録がどうとか偉業云々もありますが、こういう人を天才と言うんだと初めて思い知らされた気がします。羽生九段の七冠時代はこれに勝るとも劣らない感じだったのでしょうか。もっと早くから将棋にハマってさえいれば全盛期の天才を二人も見れたはずだったのにと、逃した機会を嘆いて大いに後悔をしています。
強い羽生九段は散々観てきましたが、天才である羽生九段を今回は垣間見れた気がしました。藤井五冠あっての感想で恐縮ですが、天才の五冠と共鳴したかのように見える。五冠もいつもとは違う雰囲気で、二人して何かを感じたような、そんな天才二人の共謀した一局。棋譜を見ての良し悪しは私のような者には全く解りません。それでも何故か二人して示し合わせて戯れていたように感じ取れる棋譜。タイトルや勝敗は完全に外に置いやって純粋に楽しんでいるだけの将棋に見えました。大味で派手に始めておいて、それ故に作り出した難解な局面を二人して長考しては二日に跨って遊んでいる。そんな子供のようにも見える大胆で純粋な天才同士の将棋だったと思います。
羽生九段や藤井五冠へのインタビューでは常に記録や偉業への感想が求められがちです。ただ両先生を見ていると本当に興味が無さそう。興味は無いけれど周りの興味には理解があるので一生懸命に絞り出しては嘘にならないようにだけ毎回苦心されているように感じます。AIについてもそうです。人間よりもどうとか感情が無いから指せるといった人間との比較を主にして語られることの多いAIですが、二人にとってはどうでもよさそう。将棋の強い存在としてただただ歓迎し、それが示す新たな手筋への興味と理解の他には何も無いように思えます。それでいて将棋自体には対人ゲームとしての特性もありきで向き合っている様子で、だからこそマジックと言われる勝負手も放ちますし逆転への布石として追随する手を指し続けることにも我慢して厭いません。要は棋士の中でも二人が群を抜いて将棋というゲームを純粋に楽しんでいるように思うのです。将棋を極めるというような大層なことは世間が求めているだけで、そもそも極めることなど出来ない将棋の魅力に最初に出会った気持ちのままに楽しむ。それこそが天才の為せる業なのだろうと感想戦でも夢中になっている二人の姿を見て思います。
藤井五冠が登場したことは羽生九段にも大きな影響があったような気がします。今までは色々なものをずっと背負わされていましたしAIが台頭してくれば人間側の最後の砦としての役割も担わされていた。でも羽生九段にとっての興味はいつでも将棋を楽しむことだけへの期待だけでAIの強さに対しても最初から好意的な立場だったのではと最近になって思います。そんなAIでの研究が普通のこととなり加速度的に新たな発見が次々と生まれた。それに合わせるかのような天才まで生まれては目の前に現れた。今、羽生九段はとても将棋が楽しいのではないでしょうか。100期という記録や偉業は周囲に好きなだけ騒がせておいて、次局もAIが大騒ぎするような難解な将棋を存分に楽しんで頂きたい。そんな天才二人のお戯れを観つつ私もまた大いに楽しませて頂こうと思います。
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