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東京のウェブ業界で働く夫婦が、北海道に移住してワイナリーを継ぐ理由

私は本業が医療記者ながら、イタリアンレストランのアルバイトでワインを出し、好きが高じて今年10月、日本ソムリエ協会ワインエキスパートの資格を取ったぐらいのワインラヴァーだ。

そんな私が身悶えするほど羨ましい転職をしようとする知人の話を聞いて、すぐさま取材を申し込んだ。

その人は、ここ「note」の運営をしている志村優衣さん(36)と玉置敬大(たかひろ)さん(39)。なんと北海道・余市のワイナリーを継ぐために転職するというのだ。私がバイトしているレストランで、ワインを飲みながら根掘り葉掘りお話を伺った。

note代表から落希一郎さんを紹介してもらう


「昔からお酒全般が好きで、ワインが特別好きだったわけじゃないんですけど、ここ数年で好きになってきて、という感じです」

志村さんは、ワインにかける思いをそんな風に話す。

ワインの知識もそれほどあるわけではなかった。ただワインを飲むのが好きだということをnote代表取締役CEOの加藤貞顕さんが知っていて、2022年5月、北海道に一人旅する際に、「ワインが好きなら余市の落希一郎さんに会ってきたら?」と紹介してくれたのだ。

落希一郎さん(76)は日本を代表するワイン醸造家の一人だ。ドイツの国立ワイン学校で学んだ後に日本に帰り、1992年に新潟市の角田浜に広がるワイナリー「カーブドッチ」を創業。その頃、出版社にいた加藤さんが、落さんが半生を綴った本『僕がワイナリーをつくった理由』(ダイヤモンド社)を編集した縁があった。

その後、2012年に落さんは北海道余市町に移り、妻の雅美さん(56)を社長にして新たに設立した「オチガビ・ワイナリー」でワインを作っていた。加藤さんはそこに訪ねていくよう紹介してくれたのだ。

実は70代半ばに差し掛かっていた落さんは経営を受け継いでくれる人を探していて、この上司にも「誰かいい人がいたら紹介して」と声をかけていた。

会いに行くと、「君は後継者候補なの?」と言われ、何も聞いていなかった志村さんは驚いた。

オチガビワイナリーから見渡せる風景(玉置さん撮影)

ただその時は具体的な話をするわけでもなかった。オチガビワイナリーの色々なワインを飲ませてもらい、ドイツでワインを学んだ頃の話、カーブドッチやオチガビで一からワインを作った話を聞かせてもらった。

志村さんにとって、オチガビのワインは、伝統あるヨーロッパワインのような洗練された味わいだった。

「日本ワインでイメージしていたものと全然違う。こんなワインを日本で作っている人がいるんだ!という驚きが第一印象でした」

知識と経験に基づく、本格的なワイン作りに感動した。余市にある他のワイナリーもいくつか案内してもらい、地域一帯でワイン作りに力を入れ、情熱を注いでいることがわかった。「余市ってめっちゃいいな」。この土地に心の結びつきが生まれた。

オチガビワイナリーで育てているピノノワール(玉置さん撮影)

帰ってから、その頃はまだ恋人だった玉置さんに「後継者になってと言われた」と報告すると、玉置さんは訝しがった。

「彼女は『養子にならないか』とも言われていたようなので、僕は正直、怪しい話だなと思っていました。本当にそれをやれば、東京で積み上げてきたものを色々と手放すことにもなる。事業の安定性もわからないし、その時点では賛成も反対もしていませんでした」

玉置さんも酒全般が好きで、ワインにも興味はあったが、特別深い思い入れがあるわけではなかった。

その後、二人は2023年4月に結婚した。

二人で余市に結婚報告、すっかり気に入られて

事態が動き出したのは今年7月、二人で余市まで落さんに結婚を報告しにいった時からだ。

話が弾んで、玉置さんも落さんに気に入られた。玉置さんは初対面の落さんの印象をこう振り返る。

オチガビワイナリーの葡萄畑
玉置さん撮影

「本当に変わった人だなと思いました。出会って30分くらいしか経たないのに、『後継ぎは志村さんにお願いするから、お前は町長になれ』などと言われ、何言ってるんだこの人はと驚きました」

一緒に話しても、ほとんど落さんの独演会。ワインの醸造所も一通り案内してもらって、帰る頃には「なんだか甥っ子みたいに思えてきたよ!」と肩を叩かれ、すっかり親しくなった。

ただこの時もまだ二人の心が固まったわけではない。

帰り際、落さんに「1ヶ月考えて返事をちょうだい」と言われた。

「いいお話をいただいたなと思いつつ、その時はまだ不安しかなかった」と玉置さんは言う。

後継ぎになるか否か 1ヶ月熟慮する

帰ってから二人で熟慮した。

落さんの1冊目の本はもちろん読んでいたが、落さんのワイン作りの思想が盛り込まれた2冊目の本『ワイナリー経営と地方創生』も読み込んだ。

志村さんは言う。

「日本のワイン法や今のワインブームなどに対して持論を語った内容です。癖が強いと思われがちな人ですが、これを読むと、学んだことと経験に立脚して築いた思想なんだなとわかりました」

「落さん自身、毎年欧米のワイナリーを巡っては常に勉強しているし、7月に二人で行った時には『もしうちに来てくれるなら、自分が通っていたワインの学校にも行ってもらい、最新の知識を仕入れてオチガビを良くしていってほしい』と言われたんです」

自分のやってきたことをそのまま継いでほしいとか、自分の考えが全て正しいという姿勢なわけではない。

玉置さんも言う。

「常に学んで、吸収して、ワイン業界全体のことを考えているんだなとわかりました。それなら面白そうだし、自分たちもきちんと学んだ上で、やりたいことをやれる環境なのかもしれないと考え始めました」

「ゼロからワイナリーを立ち上げるのはすごく大変なことだけれど、オチガビには既に葡萄畑も醸造所もある。修行もできるし、跡継ぎとしても考えてくれている。こんないい話はないだろうと気持ちが動き始めました」

全く違う業界に飛び込む不安と悩んでいたキャリア

だが、畑違いの人生を歩んできた二人。やはり不安は拭いきれない。玉置さんは迷ったことを正直に語る。

「ワイン作りに関しては知識ゼロの状態で、僕は川崎で生まれ育ち、妻は埼玉育ちの都会っ子です。地方に住むこと自体がチャレンジだし、やることもチャレンジですし。しかも北海道の冬を経験したことがない。そんなトリプルパンチです」

しかも給料も下がる。年収は二人で3分の1ぐらいになる。

ただ、玉置さんは今回の話とは関係なく、40歳を前にこれからどう生きていこうか悩んでいたところだった。

「このままnoteでキャリアを積むのか、ずっと考えている時でした。ウェブ業界にずっといて、ウェブサイトの制作をしたり、マーケティングをしたりして、自らサービスを作る会社に行きたいと思ってnoteで働き始めたんです。ここでも法人サービスの立ち上げから営業活動、イベント会場の立ち上げをして、配信設備を整えて実施できるようにしました」

「この業界で働くことにも満足してきたんです。カメラや音声などの技術を身につけ、イベント配信の仕事もして好奇心は満たされてきたのですが、このまま続けるのか迷いがありました」

そんなことを志村さんと二人でよく話し、この壁を乗り越えるには、新しく何かを始めること、つまり経営者になるしかないだろうとも思っていた。だが何で起業をしたいのか、自分でも答えは持っていなかった。

「ワイナリーは、そこに降って湧いたような話です。『全部あげるから』と言われ、乗ってみようかと思ったんですね」

30代はほとんどnoteに捧げてきた。次の40代はワイン作りに捧げよう。当然、自分たちより知識も経験もある人のところに飛び込み、自分たちは一から始める若輩者だ。

「それでもそこに入れてもらって、頑張りたいなと思うようになった1ヶ月でしたね」

本やコンテンツ作りがしたかったけれど

志村さんも同様に今後のキャリアについて悩んでいた。

「新卒の頃から出版社で働きたくて全部落ちて、通信会社に入ったんです。それでもどうしても本を作る仕事がしたくて、そこに近づけるように書店や書店兼編集プロダクションに転職し、5年半前にnoteに。今は出版社とコラボしてイベントやコンテストを開催するなどやりたいことに近付いてきたのですが、編集者の人と接して『私って今からこれだけ本作りに情熱を捧げられるだろうか?』と考えるようになっていたんですね」

この先、新しくnoteでやりたいことはあるかと考えても、答えは見つからない。出版社の中途採用枠に応募もしたが受からない。

オチガビワイナリーで(玉置さん提供)

「本やコンテンツは好きなのですが、私はそれを作る側の人間ではないのかもしれないと考えるようになっていました。でもnoteで色々なものづくりをしている人と出会い、一からものを作るのは楽しいのだろうなとも思っていたんです」

そんな時に突然現れたワイナリーを継ぐという話。

「お酒が好きだし、その中でもワインは大好きだし、いつかワインを作ってみたいなと思っていた時にもらった話です。『これはもう自分の道を変えるべき時なのかもしれない』と思ったんですね」

社長の雅美さんも受け入れてくれる

そして1ヶ月後の8月、二人は落さんに電話し、「前向きに考えています」と伝えた。まだ全面的に依頼を受けるという伝え方ではなかったのはなぜだろう。

「一番の不安は社長の雅美さんとまだちゃんと話せていないことでした。落さんは『雅美もすごく喜んでいるよ』と言ってくれるのですが、本人と直接お話できていなかったので」

そこで今年10月の頭、葡萄の収穫を手伝いに二人で再びオチガビワイナリーに向かった。

葡萄の収穫を体験した(玉置さん提供)

2泊しながら手伝って、雅美さんとも話すことができた。

「雅美さんも『今後、ワイン事業だけでなくて、地域おこしにも役立つためにこういうことをやりたい』などと将来の計画を自ら話してくださった。私たちを受け入れてもらえているんだなと嬉しく思いました」と志村さんは言う。

玉置さんも「落さんと一緒にいると、落さんがよく話すのでガビさん(雅美さんの愛称)は寡黙になってしまうのですが、この時は社長としてどう考えているのか色々話を聞けました。朗らかで柔らかくて、クレバーな方だなと思い、打ち解けられたのが嬉しかった」と話す。

オチガビワイナリーでは温泉掘削中。うまく湧き出たため、来年、宿泊施設も建設する計画だ
(玉置さん撮影)

36歳と39歳。子供も欲しい年齢だ。志村さんは言う。

「年齢も年齢なのでもうそろそろと思っているのですが、それも雅美さんはちゃんと考えてくださって。ドイツへの留学も本当は丸2年か3年行った方がいいようなのですが、夏季だけの短期留学もあるよと調べてくださったんです。私たちの計画にも配慮してくださって、すごくありがたいと思いました」

二人の心は固まった。

1000年以上続くワイン作り 利口な人を後継ぎに

気になるのは、後継者不足とはいえ、なぜワイン作りのトップランナーである落さん夫妻が、全く素人の二人に声をかけたのかということだ。

落希一郎さん(玉置さん撮影)

実は、創業の頃から何度も後継者候補に声をかけていた。

落さん夫妻が結婚したのは2012年、64歳と44歳の時。自分たちの子供は望めないと、経営者として見込みのありそうな若者に何人も声をかけてきた。

「世界中で1000年以上続いているのがワイン事業です。息の長い事業なので、続いていかないと困る。240人以上株主がいてその人たちのお金も預かっているので、利口な経営者が後を継いでくれないと責任を果たせない」と夫妻は言う。

落希一郎さん(左)と社長の雅美さん(右)撮影=岩永直子

後継者の条件として、落さんは「ワインが好きで、都会に失望するか、これからの人類の将来を考えたら田舎で生きるのが正しいと考える思想を持っていることが必要だなと思っていました」という。

社長である雅美さんは「後継者は女性がいい」と考えていた。「利口でないと経営者は務まらない。女性の方が総じて能力が高いですからね」と、優秀な女性を探し続けてきた。

だが、ある人はドイツにワイン修行の留学に行かせている間に現地で結婚し戻ってこなかった。ある人は「農業をやりたい」とワイナリーで数年修行したが、「これからの何十年もの人生をこの仕事に捧げられない」と辞めてしまった。

現場でも何人も弟子を取ったが、みんな一人前になると「自分のワイナリーを作りたい」とそれぞれ独立して離れていく。

何人も期待しては去られ、がっくりしていた頃、突然訪ねてきたのが志村さんだった。

「うちに興味あるのかと言ったら『ある』と言う。後から連れてきた玉置くんも優衣ちゃんのやりたいことをしっかり応援してくれる優しい子。これはいいな、と思ったんです」と落さんは振り返る。

彼らの上司とも東京で話し合って二人をワイナリーに迎え入れることを了承してもらい、本格的に受け入れることを決めた。

落夫妻は、後を継ぐ人が将来、安定的に経営に専念できる環境を整えようと、今、スポンサーグループを固めているところだ。

夫妻が二人に期待することは何だろう。

「一番大事なことは嘘を言わないこと。日本のワインの業界はみんな嘘を言っている。輸入したワインを詰めて、自分でブドウから作ったワインを熟成させるための地下蔵を持っているワイナリーもごくわずか。だから彼らには、消費者にも自分にも嘘を言わない仕事をしてほしい」と落さんは言う。

雅美さんも「とりあえず早く仕事を覚えてほしい。色々大変なことがあると思うから、乗り越えてもらいたいなと思います。そして簡単なようで一番難しいのは嘘をつかないこと」とやはり語る。

自分たちがこれまで積み上げたものも役立てたい

志村さんは来年1月15日に退職し、16日からオチガビ・ワイナリーに就職する。イベントの予定が先まである玉置さんは1月31日までnoteで働き、2月1日からオチガビに加わる。

今は北海道で住む家を探し、ワインの勉強を始めている。海外からのお客さんも増えているので、英語も学び直しているところだ。

就職したら初心者として一から勉強だが、自分たちがこれまで培ってきた技術を、ワイナリーがもっと発展するために活用できたらと願う。

志村さんは言う。

「今までは落さんがカリスマで、カーブドッチの頃からのファンがついています。でも落さんの力にいつまでも頼るわけにはいかない。オチガビブランドをちゃんと作っていかなければいけないタイミングなんだろうと思うと、これまでやってきた発信などでも役に立てられればと思います」

玉置さんも、こう語る。

「オチガビは小規模ワイナリーで、これまでは来てくれた人への販売をベースにしています。どうワイナリーに人を呼び込むかは、これまでやってきたイベント運営や動画編集の力を使えるかもしれないし、訪問体験を充実させるのに役立てるかもしれません。とはいえ、まずは美味いワインを作れるようになることが大事だと思うので、胸を借りて修行させてもらいます」

新しい挑戦に今はワクワクする気持ちでいっぱいだ。

「30代半ばで北海道に移住してワイナリーで働くって、なんだかわからないけれど、面白いことありそうだなと思っています」と志村さんは笑う。

玉置さんも隣でこう語る。

「僕も全く同じ気持ちです。年齢を重ねると新しいことにも挑戦しづらくなるし、本当にいいタイミングでお話をいただいた。葡萄を育てるのも、ワインを作るのも、売るのも大変で、温泉まで掘って宿泊事業や町おこしまで考えている場所です。常に色々なことをやっている未来が見えそうで、楽しみです」



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