国民主権の行使とは何か、またいかにあるべきかを考えさせられます──國分功一郎『近代政治哲学 自然・主権・行政』
私たちはどのような政治体制の中で生きているのでしょうか、民主主義や主権、国民主権というものはどのようにして考えられてきたのでしょうか。國分さんはジャン・ボダン、ホッブス、スピノザ、ジョン・ロック、ジャン=ジャック・ルソー、ヒューム、カントと7人の哲学者を取り上げその政治哲学を考察していきます。
國分さんのその根底には
「現代において可能な制度は何かと問う必要があるだろう。そうでなければ「国民主権」は絵に描いた餅になってしまう」
という危機意識があるようにうかがえます。それは國分さん自身が関わった住民運動の体験からきているもののように思えます。
たとえば行政権力に直接対峙した経験を持つ國分さんが記したこの一文には怖ろしいほどのリアリティがあります。ジョン・ロックに触れて
「ロックは行政に強大な権力を認める。にもかかわらず、立法府こそが最高権力だという建前を繰り返す。そしてこの国家像は、我々のよく知る近代国家の姿と大きく重なる。するとロックのような建前論的思想によってこそ、近代国家の欺瞞が支えられてきたのではないかと考えずにはいられない。そしてこの建前論的思想が政治哲学にもたらした害悪の一つが、行政組織に対する視点の欠如である」
というところに感じられます。
議会(=国会)が国権の最高機関であり、三権は分立されているとされていますが、実権的にはそうなっているとはなかなか言えないのではないでしょうか。
確かに国会では提案された法の審議が行われます。政府提案(与党提案は実体的には政府提案と同じなのではないかと思いますが)も同じように審議されます。そしてここで成立した法が行政権の行使を裏づけるものとなります。
「ところが、法は一般的なルールを定めることしかできず、また、あらゆる事例を予想することもできない。したがって、法が実際に運用される際、すなわち、法が事実に対して適用される際には、必ず判断を伴う。法は自動的には適用されない。すると、法の適用に伴う判断の担い手こそ、実際の統治においては強い権限を担うことになるだろう。統治においてそれを担うのは行政である」
また、議院内閣制では与党が行政府の長を指名します。乱暴に言えば、政府提案は、その政府を支持した議会で審議されることになります。採決にまで至れば結果は明らかです。
これを与党の強行であり、行政権の横暴といっても実は同義なのではないでしょうか。
そして、その実行には
「カントが指摘した「民主制」の欺瞞、すなわち、執行(行政)権の下す個別的であるにすぎない判断が、「民主主義」の名の下に、まるで全員の判断であるかのように扱われるという欺瞞が、十分に起こり得るということだ。「全員でない全員」によって決定が下されているにもかかわらず、「民主主義」という名前でその欺瞞性がかき消されることが十分に考えられるのだ」
国会で承認された、あるいは選挙で選ばれたということの中にある欺瞞をカントは指摘しているのではないかと思います。
近代政治哲学が見落とした大きなものがあります。
「近代の政治哲学は、行政に対する鋭敏な感覚をもちつつも、やはりそこでは立法権中心主義とでも言うべき視座が支配的であった。(略)だが、実際の統治においては、行政が強大な権限を有している。ならば、主権はいかにして行政と関わりうるか、主権はいかにして執行権力をコントロールできるか、これが考察されねばならない」
国民主権の行使というものは選挙だけにあるのではないと思います。それは表現の自由であり、集会・結社の自由であり思想・良心の自由などの基本的人権の上に成り立っているものです。またそうでなければ、国民の資格というものを強制されることになります。自民党の改憲案にそれはうかがえるのですが……。主権の行使の最大のものとして選挙があるのであって、選挙だけが主権行使ではないと思うのですが。たとえば多数の専制をせき止めるのは、次の選挙まで待つということではないと思います。
「民主主義は「民主主義とは何なのか?」という問い、〈民主主義という問い〉と切り離せない。「民主主義」という言葉を大切にするとは、この問いに応答し続けるということであり、それこそが「民主主義」という価値を大切にすることである」
読むほどに深まる思索にあふれた一冊だと思います。
書誌:
書 名 近代政治哲学 自然・主権・行政
著 者 國分功一郎
出版社 筑摩書房
初 版 2015年4月8日
レビュアー近況:昼食時のお蕎麦屋さん、日替わりの小鉢に「しらすおろし」が出てきました。野中が「お、おじゃこ」というと、「何ですか、それ?」と同席の編集者さん。同じ関西人でも地域によっては通じない関西弁があることに気付きました(「しらす干し」も「ちりめんじゃこ」も「たたみいわし」も野中の出身地では皆「おじゃこ」と呼びます)。
[初出]講談社BOOK倶楽部|BOOK CAFE「ふくほん(福本)」2015.06.10
http://cafe.bookclub.kodansha.co.jp/fukuhon/?p=3637
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?