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「教育データ」の利活用に関する覚書(2)

日常的な学習活動や学校生活のデジタル化

これまでにも出席日数とか欠席や遅刻、成績などの情報がデータとして保存され、利活用されてきました。

ただ、新しいテクノロジーが学校教育において日常的な文房具として使われるようになり、センシングの技術が進歩したことによって、多様なデータが容易に入手できるようになります。

少し間違えると、ディストピアとも言える超管理社会になりかねないので、実際にどのような運用をすべきであるかということについては、慎重に考えていかなくてはなりませんが、ブレスト的に可能性の振り幅を考えておくことも必要です。

たとえば、情報端末の活用状況、授業中の発話量、教室の温度や湿度、CO2の濃度、宿題のドリル課題に取り組んだ時間や間違える問題の傾向、表情の変化などなどがデータ化される可能性があります。

特定の生徒の登校時間が急に遅くなり始めたから、生活面で何か課題を抱えているのかもしれないなどということは、教室で出席点検しているだけではキャッチしにくいわけですが、登下校を管理するシステムがデジタル化されていれば、担任教員によって容易に把握されることになります。

また、登下校メールシステムにICカードでタッチする、そのタッチの仕方が急に乱暴になり始めたというデータから、その生徒の自尊感情や愛校心の程度が測られるというようなこともあり得ます。

こうしたデータは、各々の生徒の状況を把握するために利活用されるだけではなく、匿名化された上でビッグデータとして利活用されることになるでしょう。


たとえば、過去の授業に関するデータから、今年度の生徒たちの傾向を分析した上で、どの領域・分野の理解が不十分になりがちかという予測が提示され、どういうツールや手法で教えることが効果的であるのかという情報が提示されるということも可能になるはずです。

自動的に収集された発話量や視線などのデータに基づき、協働学習中の生徒たちに対して、どういうタイミングでどのような支援を行うべきかについて、おすすめのメニューがポップアップで出てくるというようなシステムが考案されるというようなことも起こり得るでしょう。

ほとんど冗談みたいな話ですが、板切れみたいなテレビが教室に大量に持ち込まれるということ自体、20世紀の日本人からすれば冗談みたいな話であるわけですから、ディストピアかユートピアかわからないような学校教育が現実のものになるのも、そう遠い未来の話ではないのかもしれません。

(つづく)

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