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ChatGPTで会議の予習をしたら国立教育政策研究所のハンドブックには妥当性を欠くところがあるのではないかという話になった件・・・が私のハルシネーションだった件^^;

国立教育政策研究所が出している指導資料・事例集の中に「学習評価の在り方ハンドブック」という資料があります。
そこに「主体的に学習に取り組む態度」を評価する際の観点として「粘り強さ」と「自己調整力」があげられていて、両者の関係について以下のようなグラフが提示されています。

「学習評価の在り方ハンドブック」 (小・中学校編) (令和元年6月)

山梨県教育庁の会議に出席するにあたって、PDFで送られてきた資料を読み込ませつつ、ChatGPTを相手に予習をしていた時に、ひょんなことからこの資料についてかねてから疑問を感じていたことをぶつけてみました。
グラフの画像を添付したうえでやりとりをしてみたら、こんな対話になりました。

【私】
「粘り強さ」と「自己調整力」の関係について、国立教育政策研究所が作成したパンフレットの中に、以下のような説明があります。この説明だと、①粘り強い取組を行おうとする側面(粘り強さ)と、②粘り強い取組を行う中で,自らの学習を調整しようとする側面(自己調整力)がトレードオフのような関係になってしまっています。この捉え方は、果たして妥当でしょうか。
《0「主体的に学習に取り組む態度」の評価については,
① 知識及び技能を獲得したり,思考力,判断力,表現力等を身に付けたりすることに向けた粘り強い取組を行おうとする側面と、
② ①の粘り強い取組を行う中で,自らの学習を調整しようとする側面,という二つの側面から評価することが求められる。
0これら①②の姿は実際の教科等の学びの中では別々ではなく相互に関わり合いながら立ち現れるものと考えられる。例えば,自らの学習を全く調整しようとせず粘り強く取り組み続ける姿や,粘り強さが全くない中で自らの学習を調整する姿は一般的ではない。》
【ChatGPT】
「粘り強さ」と「自己調整力」は実際にはトレードオフの関係にあるとは限りません。むしろ、これらは相互に補完し合う関係にあります。粘り強さは、困難や挑戦に対して持続的に取り組む意欲や能力を意味し、一方で自己調整力は、その取り組みを最適化し、より効果的な方法へと導くための能力を指します。粘り強さが目標達成に向けた動機づけを提供し、自己調整力はその過程を効率的かつ効果的に管理する手段を提供するため、両者は共存し、相乗効果を生むと考えることができます。

ChatGPT4との予習ログより

この説明は、グラフの中核部(湾曲している中心部)に焦点を当てて説明していますが、漸近線に収束する部分(X軸Y軸にそれぞれ近づく末端部)に注目すると、自らの学習を調整しようとしすぎると粘り強さが低下したり、粘り強くやり過ぎると自らの学習を調整することができなくなるという話になります。これは、どう考えてもおかしな理屈です。

このグラフにおける「自らの学習を調整しようとする側面」とは、自己抑制(勉強しすぎない)だということになってしまっているのではないでしょうか?

ChatGPT と私の理解が妥当であるなら、このグラフは修正されるべきです。

【追記】
この記事をFacebookでシェアしたら、ここまでの記述についてさまざまな方から、「何か勘違いしていないですか?」という趣旨のコメントをいただきました。
ご指摘のポイントをまとめると、こんな感じです。
「このグラフは、トレードオフが起こるということを意味しているものではない。点線は領域を区切るものであり、どちらの側面も高い生徒が高評価を得ることになることを示しているだけである。」
たしかにそのとおりです。点線の意味を捉えそこね、実線として理解していたために起きた誤謬です。「カラー印刷なのだから領域を色分けするとか、ドットやチェックなどの柄で表現するとか、もう少しわかりやすく書いてくれたらよかったのに…」とか、「どちらも0の生徒っているの?」というツッコミをしたくなる気持ちもくすぶっているわけですが、基本的にはナットク!です。
ログを読んでいただければわかりますが、今回の件、ChatGPTのハルシネーションではなく、人間である私のハルシネーションです(T_T)

2024年2月4日(日)20:50

さて、こうした話にいたる対話の焦点は「自由進度学習」でした。

そして「自由進度学習」の中で発揮される「粘り強さ」について考える中で、「自己調整力」についての気づきがありました。

それは、「自己調整力」というのは、「自分で自分を調整する力」であるというより、「自分で自分の学習環境を調整する力」であると考えるべきだという気づきでした。

「粘り強さ」が成立するには、多様な選択肢が用意されていて、試行錯誤ができる環境が整備されていることも大事ですね。つまり、1つの方法に拘泥して、それだけを繰り返すことが「粘り強さ」なのではなく、学習目標を達成するために、必要があれば、途中で方法を変えて試行錯誤しながら努力を続ける姿の中に、自由進度学習における「粘り強さ」があるということです。

前の引用と同じ

こうした気づきを経て考えたのは、「学習者のウエルビーイング」という観点です。

学習者が「粘り強さ」や「自己調整力」を発揮するためには、「ウエルビーイング」が重要です。

ウエルビーイングとは、心身ともに健康であることを基盤に、安心・安全で快適な学習空間、学び合える仲間、サポートしてくれる存在、自由に使える情報端末、そしてさまざまなリソースへのアクセスなど、学習者がより良い状態にあることを指します。

こうした環境が整って初めて、学習者は学習環境を調整する「自己調整力」を発揮し、粘り強く学びに取り組むことができるようになります。

教員のウエルビーイングも重要ですが、第一義的には学習者のウエルビーイングを確保することこそが、学校教育の目標です。

教員のウエルビーイングが重要なのも、それが学習者のウエルビーイングに直接的に、より大きな影響を与えるからです。


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