イーサン・クロス著【Chatter】を読んだ
小学5年生だったある日のことをよく覚えている。6年生から中学受験のために塾に通うことが決まっていた。
よく遊んでいた近所の川を橋の上から眺めながら、「おまえの子供時代もあと1年でおわっちゃうんだな」、とふと思って途方に暮れた。
「おまえ」とは眺めている川ではなく、自分のことだ。
イーサン・クロスの書いた「Chatter」によると、人は常に心の中で独り言をつぶやき続けているが、何かの拍子にネガティヴな独り言が頭の中で暴走しはじめることがある。主に不確実性のある困難に出会った時に起こるものであり、その暴力的な内なる声を「Chatter」と呼ぶ。
「明日のクライアントへのプレゼンはうまくいくだろうか」「決勝戦の試合で緊張して何かへまをするんじゃないか」など、不安でいっぱいな時の内なる言葉の洪水。
筆者はその思考のネガティヴスパイラルをどう制御するかという研究を行っており、実際に多くの被験者の協力を得て科学的なデータをとりながら自論を裏付けていく。その中でひとつ、とても簡単でしかも一番早く効果があらわれる方法として紹介されるのが、「一人称を使わずに思考する」という方法だ。
例えば仲の良い同僚と些細な理由でケンカをしてしまい後悔している時、「どうして俺はあいつにあんな事を言ってしまったんだろう」と考えるのではなく、
「どうして〇〇(あなたの名前)はあいつにあんな事を言ってしまったんだろう」と考える。
自分の名前、もしくは「彼」や「彼女」などの三人称、あるいは「あなた」という二人称でもよい。
この方法によってネガティヴな内省の渦から自然に(しかもすぐ)距離をとることができ、他人を眺めるような冷静さが生まれ、論理的な判断がしやすくなる。著者はこれを【距離を置いた自己対話】とよんでいる。
そして状況を見極めて適切な対抗手段を手にすることにより、ストレスを脅威ではなく手ごたえのある挑戦とみなせるようになる。
心情の変化を裏付けるように、実験によって脳や心臓血管系の動きを測定してみても、身体的効果が数値としてあらわれたとのことだ。
これはでも実際にやってみると体感としてすぐわかるんじゃないかと思うので、困難を前に視界が狭くなり、内省の渦におぼれそうになった時にはすぐ試せるよい方法だと思います。もちろんすべての状況をそれでうまく切り抜けられるとは限りませんが、ひとつの思考のメカニズムとして知っておいて損はないかと。
1年かけて大きな目標(将来に関わる)を達成しなければならない、もう気楽な子供でいられる時間も残り少ない、という現実に生まれて初めて直面した小学5年生の野中は、あのとき無意識に自分を落ち着けようとしていたのかなと思います。
日常生活や仕事のうえで少し助けになる手法としては以上の理解で十分だと思いますが、もう一歩踏み込んで、言葉というものが内面外面双方の世界にどう影響をもたらすのか、という方向への好奇心は昔からあるので、買って机に積んだままになっていたガイ・ドッチャーの「言語が違えば、世界も違って見えるわけ」を続けて読んでみようと思っています。