忘れえぬ1年目、忘れえぬ丸香
新卒の頃、神保町で働いていた。
神保町と言えば古本の街、カレーの街、美食の街。だけど当時の私はそんな街の恩恵を全く受けず。朝9時の始業から終電の12時41分発の電車に乗るまで、毎日ひたすらビルの中に籠っていた。財布片手に優雅なランチ…なんて記憶が無いに等しい。ひとことで言えばブラックだったのかもしれない。
とある日、営業同行した帰りのこと。いつもの先輩じゃない、他部署の先輩だ。暑い夏の日だった。
「ちょっと遅くなっちゃったけど、昼飯でも食ってく?」
そして一緒に入った丸香。なんだかものすごく混んでいる。近くにこんなうどん屋があったなんて。評判の店のようだ。
「◯◯は、酒が顔に出る方?」
自慢じゃないが私はあまり酔いが顔に出ないタチだった。特に、22〜25歳までは本当に酒に耐性があって、12時間飲んでも飄々としていて先輩方に引かれたことがある。
「あんまり出ないです。」と、とりあえず無難に答えた。
「じゃ、飲もっか。瓶ビール〜」
え、。あまりにも自然に頼むから反応ができないまま、ビールとグラスが私たちのテーブル前に置かれた。そしてなんの戸惑いも無く、目の前のガラスのコップに業務時間中には不釣り合いの黄金色が注がれた。
必死でポーカーフェイス気取りつつ『仕事中にビールなんて飲んでいいのか!???』と混乱してる私のことなんて先輩は気にもとめず、ごく自然にビールを飲み始めた。
そこで話した話題は、あれから10年近くたった今ではもう覚えていない。だけど映像はくっきりと覚えているから不思議だ。あの暑い日、丸香で、あまり親しくない先輩とビールを飲んでうどんを食べて気軽な話題をしたこと。なんだかとても大切な話をしてくれたような気がするのに、「大人は仕事中にビールを飲んでもバレずにしっかり仕事をすれば問題無い」という目の前で起きていることがとにかく強烈だったのだ。
時は流れ、その先輩も私も転職をした。今ではもう接点もない。神保町からも離れた。だけど、ごくたまに、昼時に神保町を訪れるときは丸香に足が向いてしまう。そして日替わりのちくわ天を頼むのだ。
なんだか凄く大切なひとときだったな、と今振り返れば目を細めたくなるような出来事だったように思える。当時は全てがいっぱいいっぱいで、でもこうやって忘れられない記憶がたくさんある。忘れえぬ、忘れえぬ。そんな出来事たち。