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みそ汁のキオク

「おうちはどんなお味噌汁?」
この質問は、私にとって、嫁ぎ先での最初の難問だった。
赤味噌?白味噌?合わせ味噌?

私は、あまり実家の味噌汁の記憶がない。
決して食卓に出てこなかったわけではない。
しばしば登場していた。
あったとしても、ジャガイモが味噌汁に入ってるのは嫌だなという記憶くらいだ。
味噌汁についても、ましてや味噌についても考えたことがなかった。
特別に執着もなかった。

県外に嫁いだ私は、食事の席で味噌汁の話題になったとき、恥ずかしい思いをしたことを今でも覚えている。
実家ではどんな味噌汁を食べていたか?
何色の味噌を使っていたか?
聞かれても、全く答えられなかった。
自分で味噌汁を作ることもあったけど、冷蔵庫にある味噌を使っていた。
どんなものがあるのかも考えたこともなかった。
実家で手伝い不足だったのは否めないが、味噌について気にも留めたことがなかったのは事実だ。
ずっと恥ずかしい思い出として強く頭に残っている。

ほぼ毎日味噌汁を作るようになった今、実家の味噌汁について思い返してみた。
答えられなかったのは、恥ずかしいだけかな?
考えたこともない、
それくらい「当たり前」の存在だったのかもしれない
と考えるようにもなった。
当たり前すぎて、もう普通の風景のようになっていたのかもしれない。
せっせと作ってくれていた母には申し訳ないが。

私は、学生や独身時代、よく海外旅行へ行っていた。訪れた国は数十か国。一か月くらい出かけることもしばしば。
食いしん坊の私は、その土地のものやホームステイ先の食事が大好きだ。
観光地的な場所より、地元の人が集まるような店を好む。
そのせいでお腹を壊したこともあるが。
という感じで、海外に行けば行先の味を堪能し、
日本食を恋しくなる暇もなく帰国する。
毎回、無事に帰国することを心配して待っている母。
帰国後、日本の空港から、母にただいまのメールをすると、毎回、
「おかえり。楽しめたようでなにより。何か食べたいものある?」
と返事をくれた。
うーんおいしいものと返事しながら家に着くと、
必ず味噌汁とおかずが準備されていたことを思い出した。
特に貝の味噌汁。
色々珍しいもの、おいしいものを食べて帰ってきても
自宅で味噌汁でほっとする。
そうやっていつもそこには味噌汁があったのだ。

母となった今、ほぼ毎日味噌汁を作っている。
むしろ、味噌を仕込んだり、原料の麹まで作ったりしている。
はて、子供たちの記憶にどこまで残るのだろう。
強制も強調もしない。
だが、カラダに自然と染み込んでいくといいなと思う。

ただ、いまだに満足のいくようなおいしい味噌汁が作れない。
私の中で意外と難問なのが味噌汁。
シンプルながらに難しい。
一口入れて「あーおいしい」と、自然と言葉が出てしまうような
そんな味噌汁を作りたい。
そして子供が巣立って帰省した時に、
「お母さんの味噌汁が食べたい」
って言われるようになりたいと密かに思っている。
これは私の目標のひとつである。

たかが一杯の味噌汁に いっぱい私の夢と希望が詰まっている。

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