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前世より圧倒的に幸せな人生を

キリキリ働く人間を「社畜」とか「会社の犬」とか言うけれど、
表現を改めてほしい。
野良犬や保護犬といった過酷な背景を持つ犬は別として、温かい家庭で飼われている犬は人間よりよっぽど幸せな生活を送っていると思う。

犬が芸を覚えてみせれば、ご褒美にごはんやおやつがすぐもらえる。
食べ物は直接的対価だ。
もらったらすぐ嬉しい。即、生きる力となる。

けれども働く人間の場合、ご褒美はたいていお金だ。
あるいは経験やスキルの習得そのものを対価とされることもある。
どちらにしろ間接的対価しかもらえない。
幸せになるためには、お金で商品を買ったり、スキルで副業を始めてまたお金にしたり、自分で対価を別のものに変えなければならない。

飼い犬は、健康も美容も飼い主が丁寧に管理する。
働く人間は、健康や美容の管理も自己責任だ。
仕事帰りにコンビニで晩飯を買うくたびれたサラリーマンの目の前を
毛並みの良い犬が元気よく散歩しているのをみると、
やるせない気持ちになるのは私だけだろうか。

飼い犬にはその分、人間ほどの自由意志はないかもしれない。
自分でおやつを買って好きなだけ食べたり、行きたい場所へ自分だけで旅行したりはできない。
けれども、それは働いている人間だって同じことだ。
勤務時間中におやつを食べるな、繁忙期に有給休暇をとるなと制限される。

「なんだ、やっぱり犬と働く人間は似ているじゃないか」と思っただろうか。
飼い犬が自由を制限されることは、飼い犬自身の健康のため、あるいは安全のためになっていると考える。
犬からしてみたら、そんなのは人間の言い分、過保護すぎると感じる部分はあるかもしれないが。
しかし、働く人間は自由が制限されることで、健康を害し命の危機にさらされる可能性の方が高い。過労死はその代表格だ。

「社畜」とか「会社の犬」という表現は、かつては適切だったかもしれない。会社に従い自分の意志をもたずとも、そこそこ幸せになれるという意味であったのならば。
でも、今は違う。
いわゆる「社畜」は飼い犬よりもずっと自分の意志を持てないし、健康に悪い生き方になってはいないだろうか。

ちなみに私の前世は、親が幼少期、大切に飼っていた犬だそうだ。
前世よりも自由意志を与えられしわが人生。
飼い犬よりも圧倒的に幸せな人生にしたいものである。







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