「また」
パニックもすごく落ち着いてて、
鬱からもやっと抜け出したかもと思った矢先、
久しぶりに「パニック→鬱」の症状が出た。
以前ほど長引くこともなかったのが幸いだったが、
今回は実習があって実家にいたため、
家族から気を遣われるのがしんどかった。
一人になりたいのになれないのが嫌だった。
でも、何よりも嫌だったのは、
家族が好きなのに鬱陶しく思ってしまう自分だった。
2回目の流れということもあって、周りの対応は以前同様だった。
話を聞いてくれようとしてた。
でも、私は、なぜか、話したくなかった。
「話したところであなたに何ができるの?」
「どうせ話したって何も変わらない」
「苦しみながら話したところで何も変わらなかったらもっと嫌になる」
そういった気持ちだった。
でもだからといって黙っていると
『何が苦しいか分からないんだね』
と、変にまとめられるのも嫌だった。
これは嫌すぎた。
親切だって分かっているのに、どうしてかすごく気持ち悪かった。
他人が思っている以上に、鬱に片足を突っ込んでいる時は、
話す、という行動がとてもきつい。
どういうわけか、とてつもなくしんどい。
今ふと振り返ってみたら、
頭の中では「消えたい」と思っているのに
そんなこと言ったら止められる。咎められる。
それが嫌だったのかな。
もちろん誰だって自ら命を絶つことに賛成はしないだろう。
そうだ分かっているからこそ、「消えたい」と思ってしまう私がいるから、苦しいんだよね。
私はきっと
『そっか〜死にたいのか〜、、、。
じゃあ死んだ後、一緒に何する?』
とか言ってもらいたかったのかな。
死にたいと思ってしまっている自分を
受け止めて欲しかったんだね。
傲慢だけれど、そんな人がいてくれる世界線が欲しかったな。
今日もまた明日の不安と闘いながら眠りにつこうかね。
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