映画レビュー「ラストマイル」 ~ベルトコンベアが運ぶ労働者讃歌~
先日、映画「ラストマイル」を観た。
脚本・野木亜紀子、演出・塚原あゆ子、プロデュース・新井順子による新作邦画である。
同じ布陣で制作されたTBSのヒットドラマ「アンナチュラル」(2018)、「MIU404」(2020)と同じ世界を描く「シェアード・ユニバース作品」として制作発表時から注目を集めていた。
筆者は「アンナチュラル」「MIU404」に魅了された一人である。
ここ数年、観たい映画はたくさんあっても忙しさにかまけて映画館にはなかなか足を運べず、結局劇場公開が終わってしまい、配信サービスで観るという日々を送っていた。
そんな筆者も「ラストマイル」はネタバレを踏む前にという思いもあって、公開の1週間後に映画館を訪れた。
映画「ラストマイル」について、雑多なレビューを綴ってみる。
以下、映画のネタバレを含むので、了承願いたい。
そして、是非とも映画館で本作を観てほしい。
これは2024年を生きるすべての日本人に観てもらいたい秀作である。
第一章
ベルトコンベアが刻む規格化の音
映画は、重く苦しい、機械の駆動音のようなサウンドから始まる。
物流センターに響く、ベルトコンベアの音である。
スクリーンには「2.7ms → 0 70kg」という数式のような文字。
この映画は全編を通して、不穏なベルトコンベアの音が使用されている。
主人公・舟渡エレナ(満島ひかり)が勤めるDAILY FAST社は、外資系の巨大ECサービスの運営会社で、そのモデルは明らかにAmazonである。
エレナがブラックフライデー目前の関東物流センターにセンター長として赴任するところから物語は始まる。
繁忙期の物流センターでは、2000人を超える作業員が働いていた。彼らはバスに詰め込まれ、行列を成しながらセンターに入場して、バーコードで管理されながら自身の持ち場へ移動する。そしてゆっくりと動き続けるベルトコンベアに囲まれて、定められた業務に取り組むのだ。
彼らのミッションは、ベルトコンベアを止めないこと。
センターの稼働率はシステムによって常に管理され続け、少しでも遅延が発生すると警告音が鳴り響く。
このモチーフは、チャップリンによる映画「モダン・タイムス」(1936)を彷彿とさせる。
「モダン・タイムス」は工場労働者として働くチャーリーを主人公とした喜劇映画でありながら、工業化や資本主義社会を痛烈に風刺している。作中に登場する全自動食事機械は、人間性が削ぎ落された規格化の象徴的存在であり、ディストピア的社会の到来を思わせるものだ。
チャップリンの時代から100年、今もベルトコンベアの傍らには規格化された労働者がいる。
彼らもまた、ベルトコンベアに乗せられた製品なのだ。
2015年に芥川賞を受賞した村田沙耶香の小説「コンビニ人間」の主人公もまた、コンビニ店員として規格化される。
規格化によって社会に居場所を見出すその様は、厭世を求めて少女と歩き出すチャップリンの後ろ姿と対照的であった。
第二章
崩れ行く神話と拡がる分断
物流センターではすべての労働者が規格化されているかと言えば、そうではない。何事にも例外は存在する。
センター長のエレナと、チーフマネージャーの梨本孔(岡田将生)である。
センターで働く従業員のうち、正社員はエレナや孔ら9人のみ、他はすべて派遣社員であるという。
両者の間には明確な格差があった。
正規雇用者と非正規労働者の格差、ホワイトカラーとブルーカラーの格差である。
2000人の派遣社員がバスにすし詰め状態となり、係員に誘導されながらセンターに入場する一方、エレナは駅からタクシーで出勤していた。
彼らがベルトコンベアに囲まれて単純作業を繰り返す中、エレナらは高い場所でモニターの数字と向き合っている。
日本では1999年に労働者派遣法が改正され、派遣対象業務の原則自由化や紹介予定派遣制度が定められた。規制緩和というと聞こえはいいが、これにより国内における非正規雇用者の割合は増加する。
総務省統計局の「労働力調査」によると、役員を除く雇用者のうち正規雇用者の割合は約37%にも上る(令和6年7月分結果より)。
2015年に放送された討論番組での、元総務大臣でパソナグループ会長(当時)の竹中平蔵による「正社員をなくしましょう発言」は大きな議論を生んだ。
本稿執筆中にも、9月12日に告示された自民党総裁選において、「解雇規制の緩和」が争点に浮上するなど、日本における正社員神話の瓦解は年々顕在化していく。
その結果として溢れるのが、企業の庇護を受けられない労働者たちである。
2018年3月、Amazonの物流センターで働く派遣従業員たちが、所属する株式会社マスタッフに対して賃上げを求めてストライキを行ったことは記憶に新しい。
そこには、過酷な労働環境と非正規雇用者による団体交渉の難しさがあった。
主人公が出勤する。ただそれだけのシーンのはずなのに、目に映るのは惨たらしい現実だ。
豊かな国国ニッポンの日常は格差に満ちているのである。
第三章
屍の上の空虚な正義
「ラストマイル」には、もう一つの重大な社会問題が描かれている。
物流の2024年問題だ。
働き方改革関連法の制限撤廃により、2024年4月1日より、「自動車運転の業務」に対する時間外労働時間の上限が年間960時間までとなった。
これにより、運送業の現場ではトラックドライバーの不足が叫ばれており、深刻な問題となっている。
特に「ラストワンマイル」と呼ばれる、配送の末端区間の負担は大きい。
ただでさえ僅少な運送リソースが、低い積載効率や煩雑な再配達などに裂かれてしまうためである。
楽天ブックスの「待っトク便」は、こうした問題から、ラストワンマイルにおける現場負担を軽減するために始められた取り組みだ。
羊運送の委託ドライバーである佐野親子にもこの問題はのしかかる。
ドライバーが減っても荷物は減らず、昼食を摂れる時間は僅か10分。配達1件につき150円しか貰えない上に、再配達が発生しても賃金は変わらない。
2020年に刊行された、刈屋大輔『ルポ トラックドライバー』は、著者自らがトラックの助手席に乗り込み取材することで運送業界の実態を明らかにした。
そこには、Amazonの配送によって現場が混乱を極めた、ヤマト運輸株式会社の事例も記録されている。
アマゾンジャパン株式会社は、2013年より、メインの配達委託先としてヤマト運輸を利用している。
佐野親子の窮状は決して虚構ではない。
「ラストマイル」は、11月のブラックフライデーを舞台にした物語である。
筆者は当初「8月公開の映画にしては時期尚早でないか」と感じたが、この題材選びに気づいたとき、作り手の明確な意図を感じざるを得なかった。
この映画を、2024年のブラックフライデーを迎える前に観ることに大いなる意味がある。
「止めませんよ、絶対」
配送遅延の危機を咎める五十嵐にそう言い放つエレナを見て、素直に「カッコいい」と思った。
しかし、Customer Centricという空虚な正義の裏側には、現在進行形の社会問題が確かに存在するのだ。
第四章
欲望の果て
この映画には「巨悪」が登場しない。
現場を弾圧するパワハラ経営者や、労働問題を黙殺する悪徳政治家にヴィランを演じさせることもできる。「巨悪に立ち向かう弱者による勧善懲悪の物語」は古来から続く様式美的なエンタメとして、受け入れられやすいものだ。
一見は強い立場にいるように見える、DAILY FAST日本支社の統括本部長である五十嵐(ディーン・フジオカ)でさえ、アメリカ本社の管轄下にあった。
彼もまた、ランニングマシンというベルトコンベアからは降りられない。一度立ち止まったら最後、すぐに振り落とされてしまうのである。
多くの重傷者を出した連続爆発事件の原因は、漠然とした現代社会であった。
そこに「半沢直樹」的カタルシスはない。
目の前に横たわる悲惨な現状を生んだのは、一般消費者の加害性である。
エレナをカッコいいと思った我々もまた、加害者なのだ。
ECサービスの台頭によって、人々の暮らしは間違いなく便利になった。未曽有の感染症流行下でそれを実感した人も多いだろう。
結果として世の中にあふれたのが、無数の「want」である。
映画のラストシーンはこれを明確に示唆したものだろう。
拡大する「want」の延長線上に生まれるのは、凄惨なグローバル資本主義である。
菅付雅信『物欲なき世界』では、成長しきった資本主義社会の末路を、膨大な先行研究から紐解いている。
山崎の恋人、筧まりかが爆破予告を投稿したアカウント名は「デイリー・ファウスト」であった。
ゲーテの著作に『ファウスト』という戯曲がある。
『ファウスト』の主人公・ファウスト博士は自らが呼び出した悪魔・メフィストフェレスと契約を交わし、自身の魂と引き換えに、あらゆる欲望を実現する力を得る。
永遠の若さを手に入れ、豪奢なる日々を過ごした先に待っていたのは、愛息・オイフォーリンの墜落死だった。
物流センターに勤務していた山崎もまた、世の中の欲望・wantの犠牲となって墜落した。
山崎が墜落するその様は、決して悲観に満ちた身投げには見えない。
どこか上気した表情で長机の滑走路を用意し、勢いよく飛び立った姿は、オイフォーリンと重ね合わさざるを得ないだろう。
そこには、イカロスの如き両翼が見えた。
「ブラックフライデーが怖い」
山崎の墜落で物流センターは一時、静寂に包まれた。
しかし、非情にもベルトコンベアはまた動き出す。
センターの稼働率が下がり、システムが警告を出したためだ。
資本主義の名の下で、人々は数字の奴隷となり下がる。
第五章
シェアード・ユニバースと労働者讃歌
観終わった直後、後ろの席に座ってたカップルの感想が耳に飛び込んできた。
「いや、それは違う」と思った。
日本を代表するプロレタリア文学に小林多喜二の『蟹工船』がある。
この物語に主人公はいない。工船の過酷な環境で働く労働者たちの群像劇として物語が進んでいく。
「ラストマイル」は令和のプロレタリア映画だ。
舟渡エレナという主人公はいるものの、それぞれのキャラクターのプライベートやバックグラウンドは多く描かれない。
それぞれが、物流センターの従業員として、法医解剖医として、警察官として、トラックドライバーとして、その職責を全うする一人の労働者として描かれているのだ。
「アンナチュラル」「MIU404」という個別の作品に踏み込むと、この均質性は失われてしまう。
ドラマではあれほど立体的に描かれていたキャラクターを敢えて捨て去ったのには、少なからず意図を感じる。
この世界は今日も地獄である。
だけれども我々は希望を捨てずに一日一日を生きていかなければならない。
「アンナチュラル」と「MIU404」それぞれの根底に共通するメッセージである。
「ラストマイル」も然り。
この映画は間違いなく労働者讃歌である。
救われないこの世界で、目の前の仕事に必死にしがみつくその姿は、泥臭くも美しい。
それが報われる日は一生来ないかもしれない。
しかし、佐野がかつて勤めていた会社は巡り巡って親子の命を救った。
What do you want?
荒ぶる現代社会の渦で、僕らががらくたにならないように。
参考文献
刈屋大輔『ルポ トラックドライバー』(2020年、朝日新聞出版)
かつての話題作を、この機に初読。
昔は「過酷だが稼げる職業」だったトラックドライバーが、「過酷で稼げない職業」になった実情を丹念に取材した力作。
「Amazonに翻弄される配送現場」という映画ドンピシャな事例が登場してびっくりした。
菅付雅信『物欲なき世界』(2015年、平凡社)
初読。現代消費社会の構造的な限界を認識せざるを得ない。
出てくるエピソードが全部強くて驚かされる。
竹信三恵子『正社員消滅』(2017年、朝日新聞出版)
久しぶりに再読。刊行直後に読んだきりだったが、「正社員消滅問題」は未だ現役である。
イケアの人事担当役員が国会で「"非正規雇用"に相当する外国語がない」と答弁した話は面白かった。
ゲーテ『ファウスト(一)』(1967年、訳=高橋義孝、新潮社)
ゲーテ『ファウスト(二)』(1968年、訳=高橋義孝、新潮社)
再読。光文社古典新訳文庫版がうちの本棚に確かあったはずだと思い探してみたらなかった。仕方なく図書館で借りようとしたのだが、そもそも光文社古典新訳文庫から『ファウスト』は出てなかった。夢だったかもしれない。
仕方なく新潮文庫版を読んだ。
新潮文庫なのでまあまあ読みやすい。森鷗外訳版はまだ手を出せていない。
小林多喜二『蟹工船・党生活者』(1953年、新潮社)
再読。個人的には『蟹工船』より『党生活者』の方がスリリングで好き。
村田沙耶香『コンビニ人間』(2018年、文藝春秋)
ただの個人的オススメ小説。
かねてより『コンビニ人間』を現代のプロレタリア文学に位置付ける寸評を書きたいなあと思っていたら、斎藤美奈子氏が同じこと言ってた。
映画「モダン・タイムス」(1936年、アメリカ)
言わずと知れた名作映画。大好き。
チャップリン研究については、日本チャップリン協会会長の大野裕之の著書に詳しい。『ヒトラーとチャップリン』は名著。
TBSドラマ「アンナチュラル」(2018年、日本)
TBSドラマ「MIU404」(2020年、日本)
観なくても映画は楽しめる。が、観た方が映画を楽しめる。
その他
総務省統計局(2024)「労働力調査(基本集計)」
文春オンライン(2019)「アマゾン流通センターに潜入してわかった、陰鬱なヒエラルキーと過酷なノルマ」
全日本トラック協会「知っていますか?物流の2024年問題」
国土交通省東北運輸局「物流の「2024年問題」とは」
おまけ
エレナの出勤経路
エレナが電車で出勤するシーン。「やたら見覚えのある車内だなあ」と思ってよく見たら多摩モノレールだった。
筆者が大学4年間、通学で乗っていた路線である。
「程久保駅」という実在の駅名まで出てきた。いつ撮影してたんだろう。毎日乗ってたのに。
露骨すぎるメタファー
ホワイトカラーとブルーカラーの格差、ここの描写が露骨で背筋が寒くなった。
DAILY FAST社の社員は、社員証を首から下げている。
この社員証のストラップ、正社員は白色で、派遣社員は青色なのだ。
ちなみに、ホワイトカラー・ブルーカラーのカラーはColor(色)ではなくCollar(襟)である。
再登場するファウスト
ゲーテの『ファウスト』は実は初登場ではない。
「MIU404」の志摩(星野源)は、ヴィランである久住(菅田将暉)を『ファウスト』に登場する悪魔・メフォストフェレスになぞらえた。「メケメケフェレット」と言った方が思い出しやすいかもしれない。
そういえば、そんな久住は自身を「クズ、ゴミ、トラッシュ」と称していた。彼は「がらくた」側の人間かもしれない。
塚原リアリティの描写力
塚原あゆ子作品は、戯画化のバランス力に優れた演出家である。
作品全体をエンタメとして仕上げつつも、細かいリアリティへの配慮に隙がない。
本作においても、オフィスで孔が食べているお菓子がじゃがりこだったり、羊急便の八木(阿部サダヲ)が吸っている煙草が電子タバコだったりと、時代性・日常性に対する執念を感じざるを得ない。