レベルが高い、レベルが低い、という表現への違和感について
あの人はレベルが高い、
あの人はレベルが低い、
こういう表現を耳にすることがあります。
でも「人としてのレベルって一体なんなんだろう?」
とわたしは思います。
影響力が大きい人はレベルが高いのでしょうか?
自己実現力の高い人はレベルが高いのでしょうか?
知性があり教養がある人はレベルが高いのでしょうか?
人として、ではなく
「影響力の」レベルが高いとか、
「自己実現の」レベルが高いとか、
「知性と教養の」レベルが高いとか、
そういう表現であれば、たしかに
「その領域におけるレベル」はあると思うのですが、
「人として」となるとまた違うのではないかなと思うのです。
わたしの中では、
そもそも人間という生き物はレベル分けできるような単純な存在ではなく、一人一人が唯一無二の命を生きているという感覚なので、
レベルがちがうのではなく「生きているフィールドがちがう」という表現のほうがしっくりくるなと思っています。
イメージとしては、10階建ての建物の10階に住んでいる人はレベルが高くて1階に住んでいる人はレベルが低い、という階層構造になっているのではなく、
みんな同じフロアにいるけれど、それぞれちがう場所にいる、という感じです。
誰かを上にみたり、誰かを下に見る、という感覚は個人的にはあまり楽しくないので、この「フィールドがちがう」という表現はわりと気に入っています。
そして、ある領域に限定した時には確かに「レベル」というものが存在するので、そこで初めて憧れるレベルを目指して突き進んでいけるのがいいのかなと思っています。
「自分という存在」は唯一無二の絶対的価値あるもの、という感覚をベースに、限定された様々な領域内で憧れのレベルを目指して自分の可能性を磨いていく、
そんな生き方を楽しんでいけたらいいなと思っています。
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noteを始めてから今日で10記事目になりました。
(と思ったら11記事目でした 笑)
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