習慣は歩くことよりもチャリを漕ぐことに似ている
noteをはじめた時、1日1投稿と決めていたが、しばらくさぼってしまった。
人間の心理とは不思議なもので、昨日サボったならいっそ今日もサボってやろうという気になってしまう。怠けた分を返上するどころか、「昨日の自分」に「今日の自分」がつられてしまい、日を追うごとに再開のハードルが上がってしまう。
私を含め、多くの人が持つ習慣のイメージは「歩くこと」に近いように思う。歩いている時は、一旦止まっても、また踏み出すのは簡単である。一歩一歩の比重はそれほど変わらない。
ところがどうも習慣を続けることは「チャリを漕ぐこと」に似ているらしい。勢いがついている時に漕ぐ1歩と、一度止まってしまった後に、また走り始める時の1歩とでは、全く重さが違う。
例えば「毎日運動する」と「週に3回運動する」とでは、後者の方が簡単に思えるかもしれないが、実際は逆である。
休む日ができてしまうと「今日はやるかどうか」という問いにたいしてYES/NOのチョイスができてしまう。すると、やると決めた日も迷いが出てしまい、悩んだ挙句「明日で良いか」となるのだ。
NOという選択肢を選ばせない「毎日習慣」の方が、実は続きやすい。
では「毎日○○をする」と宣言すればすべて上手くいくかというと、もちろんそうではない。
自転車と徒歩のもう一つの違いは、自転車の方が環境・状況に左右されやすいことだ。上り坂と下り坂では、チャリだと天と地ほど差である。下っている時はあっという間に走れてしまう距離も、上っているときは何倍もの労力と時間がかかる。
習慣を決めている時は、気持ちにも時間にも余裕がある。そんな「下り坂」の日に余裕で続けられると思っていることも、「上り坂」の日にはありえない難題だったりする。
だからこそ習慣はデザインが大切なのだ。
毎前の日に準備を整えておく、日同じ時間に行う、すでにある習慣と紐づけるなど、手法は様々だが、何よりもまずは「これさえやれば、やったことになる」という達成の基準を極限まで下げること。
読書10分、腹筋30回、日記1行…。設定した時は簡単すぎる、と思うかもしれないが「鬼の上り坂」の日をイメージするのがポイントだ。寝不足で、朝から晩まで仕事で、生理2日目で、パートナーと喧嘩をして、子どもは熱を出して…そんな時間的、体力的、心理的余裕が全くない日にでも、こなすことができるのが「最低ライン」。
「そんなしんどい日ぐらいは休めば?」と思うかもしれないが、上り坂の途中でブレーキを踏んでしまうと、もう登れなくなってしまう。
最低ラインを落とすことは、自転車でいうとギアを下げること。ほとんど進んでないように思えるほどゆっくりでも、とにかく止まらないことが長続きする鍵である。
このことに気付いて、私は2020年「朝散歩」「筋トレ」「読書」「瞑想」の習慣化を成功させた。
ブログの最低ラインは、高く設定しすぎたらしい。
そりゃあ「自分が納得するクオリティのブログ記事を毎日更新」なんて主観的であいまいな基準で続くはずがない。
高いギアで坂道を登ろうとしたから、結局止まらざるを得なくなってしまったのだ。そういうときは潔く自転車を降りて、いったん坂を下り、変速を切り替えて登りなおせばいい。
ということで、今日からブログを再開する。
気に入った言葉を1つ紹介するだけの簡単な日もあるかもしれないが、継続することで成長していくので、温かく見守ってほしい。
2020年11月30日 東京都世田谷より
もえん