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🇲🇳モンゴル旅行記 Day2 【2/4】

モンゴル旅行記 旅程
2024/8/10〜8/13(3泊4日)
Day 1 ウランバートル到着
Day 2 ウランバートル観光/ゲルへの移動
Day 3 ゲル生活/テレルジ観光
Day 4 日本帰国/まとめ

Day 2 ウランバートル観光/ゲルへの移動

旧ソ連時代のモザイク画探訪

2024/8/11 () 7:30 ウランバートル散策開始
Day2では、当初ザイサン=トルゴイへタクシーで向かう予定だった。
ザイサン=トルゴイとは1971年に大日本帝国軍とナチスドイツを相手に戦い、戦死したモンゴル・ソ連両国の兵士たちの栄誉を讃えると共に、共産主義革命50周年を記念して建設された戦勝記念碑である。
(引用:https://www.mongoru.mn/%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%82%B5%E3%83%B3%E4%B8%98/)
この無骨な外観と美しく鮮やかなモザイク画を観ることが、ウランバートル観光で最も楽しみにしていたことだった。

ザイサン=トルゴイ
(Googleマップより)
ザイサン=トルゴイ
(Googleマップより)

しかし、宿泊先オーナーがタクシーの手配を忘れていたため、再度依頼したところ「ザイサン=トルゴイは今クローズしている」と言われた。
Googleマップをはじめ、クローズの情報がなかったことやオーナーが手配を忘れたから嘘を吐かれているのではないかとの不信感もあったことから、ザイサン=トルゴイまで歩いて向かうこととした。
ただザイサン=トルゴイに向かうだけでは、クローズしていた場合に骨折り損になることから、旅行前に調べていたソ連時代の建築物やモザイク画にも立ち寄りながら向かうこととした。

旧ソ連時代から残る廃墟ビル
1980年時の同ビル
(YouTubeより)

旧ソ連時代から残る廃墟ビルの場所
(ノミンデパートから南へ真っ直ぐ)

モンゴル国立中央図書館
(旧: スターリン記念国立中央図書館)
1990年まではスターリン像だったが、現在はモンゴル文学家のビャービン・リンチェンの像がある
1971年時点ではスターリン像だった
(YouTubeより)
国立ドラマ劇場
VIVANTではバルカ国際銀行となった
1976年時の同劇場
日本人抑留者が建設したことでも知られている
(YouTubeより引用)
モザイク画①
モザイク画①(拡大)
宇宙飛行士は後述のグラグチャ氏と推測

モザイク画①の場所
(Mongolian Children's Palace付近)

川沿いの廃墟
VIVANTでは乃木がGLF社社長のアリを誘き出す場所となった


川沿いの廃墟の場所
(Peace Bridgeから見える)

モザイク画②
(場所忘れましたが、Chinggis Khan Ave沿いかと思います)
モザイク画③
VIVANTでは乃木ら別班の車がこのモザイク画前で停止する
団地前の小屋
VIVANTでは別班の拠点になった


モザイク画③&団地前の小屋の場所

モザイク画④

モザイク画④の場所
(Camel Caravan Statue付近)

2024/8/11 () 9:00 ザイサン=トルゴイ到着
モザイク画を撮りながら1.5時間ほど歩き続け、ようやくザイサン=トルゴイに到着した。
だが、やはりオーナーの言う通り、残念ながらザイサン=トルゴイは工事中で立入禁止であった。
自分の目で確認したという達成感を味わうと共に、ここからまた市内中心部まで徒歩で帰ることを考えるとより疲労感が増し、ヘトヘトになっていた。
そこで、中心部まで歩みを進めながらも旅行前に調べた白タクの捕まえ方を実践することとした。
モンゴルには認可タクシーがなく、白タクのみであり、道路側の片腕を鳥のように上下に動かすことがサインとなる。
ザイサン=トルゴイ閉鎖による徒労感から若干惨めな気持ちで片腕をバタバタしながら歩いていると、道端で仲間達と屯し、タバコを吸っていたタトゥーの入った体格の良いモンゴル人男性がこちらにジェスチャーで乗らないかと合図してきた。
ボッタクリや暴行に恐れながらも、覚悟を決めて乗ったところ、相場通りの価格でガンダン=テクチェリンまで10分で送り届けてくれた。

ザイサン=トルゴイ
Zaisan Hill Complex
ショッピングモール
Zaisan Hill Complex前のソ連軍戦車
ザイサン=トルゴイの入口
一体何があったんだ…

ガンダン=テクチェリン

2024/8/11 () 9:10 ガンダン=テクチェリン
ガンダン=テクチェリンはチベット仏教の寺院である。
1830年代に設立されたが、1939年にはスターリン指示下のチョイバルサンによる宗教迫害により閉鎖され、約1,000人の僧侶が粛正された歴史がある。現在では、モンゴル最大のチベット仏教寺院であり、多数の信者が参拝に訪れている。
この日はチベット仏教のイベントがあり、寺院前にはテントが張られ、多数の仏僧がお経を唱えていた。正面から美しい寺院の写真を撮りたい気持ちもあったが、こればかりは仕方がない。信者でもない、ただの観光客が文句を言える立場ではないだろう。ザイサン=トルゴイしかり非英語圏の現地イベントはなかなか把握できないため、こういった想定外の出来事が発生する可能性があることは覚悟しようと改めて感じた次第だった。
寺院内部は荘厳な雰囲気で、低いお経の声とマニ車が静かに回る音が絶えず響き、非常に神秘的だった。

ガンダン=テクチェリン
撮影したかった、正面から見たガンダン=テクチェリン
(Googleマップより)
ガンダン=テクチェリン
大観音像
元の像はソ連に持ち出されたため、1996年に再建された
左手には黄色の袈裟を着た小さな仏像が、右手には大観音像をマニ車が囲んでいる
ガンダン=テクチェリンからの帰り道
ローカル店でコーラを購入した

モンゴル自然史博物館

2024/8/11 () 10:00〜博物館巡り
ガンダン=テクチェリン観光後は足を休めたいこともあり、博物館に入った。なお、ウランバートルは似た名前の博物館や劇場が多いため、勘違いして見落とさないように気を付けることをオススメしたい。
モンゴル自然史博物館は中央恐竜博物館と合併した博物館であり(建物は中央恐竜博物館、1974年完成)、恐竜の化石や模型が豊富にあるほか、ラクダやオオカミ、ワシといったモンゴルに生息する動物の剥製や旧ソ連時代のレリーフなど多種多様な展示で楽しめた。
また、シアタールームにはクッションが置かれており、足を休められたのも有り難かった。

モンゴル自然史博物館
1989年の同建物
(YouTubeより)
全身骨格標本
モンゴルの動物の剥製
旧ソ連時代のレリーフ
壁一面を覆っている。中央右は恐らくレーニン

チンギスハーン国立博物館

2022年にオープンした巨大な博物館で、3〜8階まで全てチンギスハーンやその子孫に関する展示となっている。
日本語の音声ガイドや説明文がなく、何よりも肖像画や発掘物ばかりの展示で正直楽しめなかった。
旅行前にモンゴル帝国の歴史を勉強した私ですら楽しめなかったので、日本人観光客がふらりと寄ってもあまり楽しめないのではないだろうか。
なお、訪れた10:30頃には既に外が暑かったため、冷房が効き、屋内噴水のある館内は非常に居心地が良かった。

チンギスハーン国立博物館
大階段
(普通に疲れた…)
教科書で見たことある肖像画

モンゴル風小籠包と揚げ餃子

2024/8/11 () 12:00  Modern Nomadsで昼食
チンギスハーン国立博物館の後、昼食を食べにModern Nomadsへ向かった。Modern Nomadsはモンゴル料理レストランのチェーンで外国人観光客が必ずといっていいほど訪れる有名店だ。
楽しみにしていたホルホグを注文するが、開店後一人目の客であるにも関わらず品切れと言われたため、ボーズ(小籠包)とホーショール(揚げ餃子)を注文。しかし、60分経っても料理が届かず、自分より後に来た客(というより私が来店1人目だが)が食べ終えて次々と帰るようになっても全く料理が来ない。
何度か催促したところ、90分待ってようやく料理が提供された。ボーズは肉肉しくジューシーな味で、とても美味しかったが、ホーショールは想像以上に脂がギトギトで少し残してしまった。

Modern Nomads
ホルホグ
(NHKより)
ボーズ(小籠包)
ホーショール(揚げ餃子)
モンゴル児童創造芸術センター
Modern Nomadsの正面にある。像は若き日のレーニン。

モンゴル国立博物館

2024/8/11 () 14:00〜ウランバートル散策再開
食後はモンゴル国立博物館に向かった。1924年に設立されたモンゴル中央博物館が起源であり、現在の建物は1971に革命博物館として建てられたものとなる。その後、JICAが修復を支援し、現在はモンゴルの歴史や民族に関する展示がなされている。(モンゴルの博物館の歴史を軽く調べたが、合併や名称変更ばかりで非常に複雑だった)
ここは民族衣装やモンゴル帝国の武器、旧ソ連時代の宇宙服など目で楽しめる展示が豊富でとても楽しめた。チンギスハーン国立博物館よりもモンゴル国立博物館の方が日本人観光客は楽しめると思う。実際、他の博物館は殆ど日本人と遭遇しなかったが、この博物館には複数組の日本人観光客がいた。

モンゴル国立博物館
民族衣装
攻城兵器
子どもの遊び道具
動物の骨でできている
旧ソ連時代の武器
宇宙服(恐らくジェクテルデミット・グラグチャ氏のもの)
1981年3月22日にソユーズ39号に搭乗した同氏は、モンゴル人初、アジアで2人目の宇宙飛行士となった

スフバートル広場

前日夜も訪れたが、日中のスフバートル広場を改めて観光し、お土産を買いにノミンデパートへ向かうこととした。

スフバートル広場
スフバートル像
国立ドラマ・バレエアカデミックシアター
VIVANTのGLF社ビル
Blue Sky Tower

ノミンデパート

ノミンデパートの1Fはスーパーとなっており、レジ付近にロッカーがあって大変助かった。
(朝の宿チェックアウト以降、ずっとリュックサックを背負っていた)
今回の旅では4日目にゲルから直接チンギスハーン国際空港に向かうこと、モンゴルには土産物屋自体が少なく、ノミンデパートが最も充実していることから、ここでお土産を買い揃えることにした。
1FではGolden Gobiのチョコレートを中心に購入し、6Fのお土産コーナーでは100%ウールの靴下を購入した(お土産はDay 4のNoteで別途解説)。
どうやらツアーの定番ルートらしく、6Fは6〜7割近くが日本人の団体観光客でごった返していた。
会計の際、近くにいたツアーガイドのモンゴル人の方が袋が必要か、合計でいくらになるなどを親切にも翻訳してくれて驚いた。実は昼食のModern Nomadsでも、料理を待ち侘びている私を見かねたツアーガイドのモンゴル人の方が料理がまだ来ていない旨やその理由を翻訳してくださった。どちらも政府公認のガイドを示す赤い服を着ていらっしゃったが、ツアー客でない私に対しても親切に助けてくれる姿勢に胸を打たれた。
これまでモンゴルでは観光開発があまりなされていなかったこともあってか、宿やレストランでは時間や約束事にルーズなところが散見されたが、公認ツアーガイド達のホスピタリティ溢れる対応を体感し、きっと今後観光地としてより人気ある素敵な国になっていくだろうと希望を感じた。

ノミンデパート
ノミンデパートの最上階からの眺め

宿泊先ゲルへの移動

2024/8/11 ()  18:00 ウランバートル発
遊牧民の住むゲルへのホームステイだが、AirBnB経由で予約した以下のプランであり、市内からゲルまでの送迎もオプションで依頼できた。
このプランは日本人の方がコーディネーターであるため、事前に日本語のチャットで丁寧にコミュニケーションできる他、オーナーのBayalさんやそのご家族も片言の日本語が話すことができ、多くの日本人が宿泊していることが魅力的だった。

予約した宿泊プラン
・宿泊費(2泊3日 3食付) ¥27,333
・市内や空港への往復送迎$110
・乗馬体験 1名1回2時間 $30
・遊牧民宅からチンギスハン巨大騎馬像とテレルジの亀石への送迎往復 $100
(時期等で価格は変動するとのこと)

Golden Gobiというラクダのロゴの入ったモンゴルビールを買うつもりが、市内のコンビニのどこにも無かったため、ドライバーに途中でスーパーなどに寄ってくれないかと依頼した。ドライバーは快く応じてくれたが、郊外のスーパー(日本の道の駅に近い)に寄ったものの一切並んでおらず、いよいよ草原地帯に入るという最後のスーパーでやっと入手することができた。
その後は店や家はなく、どこまでもずっと緑の草原と青い空、時々馬やヤギなどの家畜という変わり映えの無い風景が続いたが、日本では見れない雄大な大自然の美しさにただただ見惚れるばかりだった。

Golden Gobi
苦味のあるビール
Sengur
スッキリと比較的飲みやすいビール
草原と青い空
牧歌的な風景が続く

2024/8/11 () 19:30 宿泊先のゲルに到着
宿泊先のゲルは大草原の真ん中にぽつんとあり、隣家(というより他の遊牧民)からどれほど離れているか検討も付かなかった。ドライバーも似た景色が続く中、よく辿り着いたなぁと関心した。
到着後、早速ステーツァイ(塩ミルクティー)と夕食のゴリルタイ シュル(羊肉と麺のスープ)をいただいた。羊肉は柔らかくて臭みは全くなく、スープの味は日本人好みの薄味で非常に美味しかった。私が普段日本で食べているものよりも遥かにヘルシーだった。
ハイシーズンで相部屋の可能性が高いと伺っていたが、幸い宿泊者は私一人のみでのびのびとできた。荷物を下ろし、お世話になるお礼にと、日本の喉飴や小魚ピーナッツ等をプレゼントした。乾燥しやすい気候やカルシウム不足になりがちなことを考慮してプレゼントしたわけだが、包装紙などのゴミが増えるのを見て、普段入手困難な異国の食べ物よりも現地のウォッカ等の方が喜ばれるのではないか、独善的な行為だったのではないかと勝手に考えさせられた。

手前が遊牧民家族のゲルで、奥2つがゲスト用ゲル
宿泊したゲルの外観
ゲルの内部
意外にも広々としている
ステーツァイ
ゴリルタイ シュル

夕食後、何やら外が騒がしいと思い、ゲルから出たら大量の羊や山羊がゲル前に姿を現していた。遊牧民の方々が馬に乗って、丘の向こうの遠くからゲルまで彼らを追い立ててきたのだ。すると、これまで私と一緒に相撲をして遊んでいた8歳と10歳の兄弟や眠そうにしていた犬達が自ずと家畜の方へと向かっていき、柵の中に羊や山羊を追い込む手伝いを始めた。ここでは子どもも動物も皆が役割を持って生きているのだろう。後から知ったが、馬に乗っている遊牧民達もティーンエイジャーだった。
遊牧民達は、あぶれた3〜4頭を除いて家畜を柵の中に寿司詰め状態にすると、今度は柵の中に飛び込み、子山羊を捕まえ始めた。どうやら削蹄(伸びた蹄を切ることで、変形による歩行困難や蹄の病気などを防ぐ作業)をしているようだった。私も柵に入り、子山羊を捕まえるの手伝う傍ら、子山羊を抱っこしたり羊と触れ合ったりして楽しい時間を過ごすことができた。
削蹄が終わり、柵を解放すると家畜達は我先へと駆け抜けていき、地平線の彼方へと消え去っていった。

柵からあぶれた羊達
子山羊の削蹄が目的のため、あぶれても問題ないと後で気付く
柵内に集められた家畜達
子山羊を抱っこさせていただいた
逃げる気力を無くした羊
毛はゴワゴワだった
柵の解放とともに猛ダッシュする家畜達
飼い犬達
夜はゲルの入口で寝て守ってくれる

ゲルでの夜は真夏であるにも関わらず、真冬の寒さだった。幸い私以外誰も宿泊していなかったため、他の3人分の布団を上に被ることでなんとか寒さを防ぐことができた。
夏の夜でこれだけ寒いならば、冬はどれほど寒いのだろうか。

【引用先のYouTube動画】


Day3へ続く

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