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もしも、七つの願いが叶うなら

こんにちは。
とある昔に視聴していたアニメの中間だったと思うのですが、その話を書き留めていたメモが出てきました。何で見たのか、なんというものだったのか全く思い出せません。絵本であったような気はしています。ただ、ここまで書き残していた過去の自分よく頑張ってくれたと感じます。後は今の私にまかせんしゃい過去の私。とこれをnoteにそして、読んでくれている皆さんのちょっとしたきっかけになればと、感じます。そして、「これってあれじゃない?」というのが、閃かれたら是非教えてください、有識者の皆々様。

私の叔父さんは船乗りだ。魚をとるために、世界中へ行くんだ。その叔父さんが久しぶりに帰ってきた。

私は初めて港へ遊びに行って、船にも乗せてもらった。揺れる板の橋を渡るの。甲板は少しなまぐさい。甲板には小さなサルがいた。マストにつながれて、ぴょんぴょん跳ねている。長い航海のあいだ、みんなが可愛がるペットなんだって。でも、このサル、私はちょっと怖い。キーッて歯をむくんだ。

前に帰ってきたとき、叔父さんは私の家に来た。
そのときのおみやげは、外国の高いお酒。父さんは大喜びだったけど、子どもにはつまらない。でもね、今回は私へのおみやげがあるんだって。

港の食堂で叔父さんはビールを飲んで、私におみやげをくれた。「ありがとう」と言って、私はすぐに包み紙をやぶいて、箱も開けてしまった。箱の中には、木でできたきれいなお人形がいたの。
「マトリョーシカというんだよ。」
と叔父さん。
ロシアで買ったんだって。人形の中に人形が入っていて、全部で七つが入れ子になってるんだって。
「一つの人形が一つの願いを叶えてくれるんだよ。」
と叔父さんは言った。
私はすぐに一つ目の大きな人形に向かって「アイスクリームが食べたい」と言った。そしたらコックさんが立派なアイスを持ってきたんだ。
「どうぞ。作りすぎてしまったから、お嬢ちゃんにサービスだよ。」

しばらくして、人形を開いた。二つ目のちょっと小さいお前。
「小鳥が飼いたいの」
と願ったら、その日、父さんが買って帰った。
「たまたま。小鳥屋さんで目についてね。」だって。

また人形を開いた。三つ目。もっと小さいお前。
「大好きな映画俳優に逢いたい」
と願った。
次の日、大通りを走っていたら人とぶつかってしまった。
「ごめんよ。大丈夫かい、お嬢ちゃん?」
と願った相手が言った。

また人形を開いた。四つ目。さらに小さいお前。
「可愛いドレスが欲しい」
と願った。
もうすぐ私の誕生日。おばあちゃんが言って来た。
「さあ、あなたのために、素敵なドレスを作りに行きましょう。」

また人形を開いた。五つ目。ますます小さいお前。
「どこかへ旅に行きたい」
と願った。
おじいちゃんが亡くなって、お葬式は遠くの街。
父さん母さんと、汽車に乗って出かけて行ったの。

また人形を開いた。六つ目。とっても小さいお前。
理想のボーイフレンドを願ったら、すぐに叶った。叶ったけどすぐに別れた。
いいものが良いとは限らないというのが分かったこと。

迷いながら人形を開いた。最後の七つ目。指先くらいのお前。
一番小さなお前に、一番大きな、一番大きな願いを託すことになってしまったね。叶えてくれるかしら。それはね。

書きながら、これって何歳を想定して作られた話なのだろうかって節々に思ってしまいました。この女の子と同じくらいだとしたら、結構読めない漢字が多くて難しいだろうなとか、絵本の構造に頭が向いてしまいました。ルビがあってもいける…?全国の読み聞かせを生業にされてる方からしたらどうなんでしょうね。にしても、よくこれをメモしていた、自分。驚きです。
マトリョーシカは実際に、願いを込めて吹き掛けると叶う(かも)というおまじないがポピュラーだそうです。ロシアから伝わってきた、験担ぎみたいなものでしょう。「一番小さいのに、一番大きな願いを託すことになった。叶えてくれるかしら。」の最後で個体のサイズは願いの大きさとは関係ないように思われます。あと、意図としては、あの質問に似てますね、好きなものを最初か最後、どっちに食べるか。七つまで何を成し遂げたいでしょうか。皆さんは食べる順番、どっちの傾向があるでしょうか。絶対ではありませんが、コメントでよければお聞かせ願えれば幸いです。

話として、「物が欲しい」は恒久的に、「人が欲しい」は瞬間的に叶えられるという印象です。面白いですね。7個、年代によって「願い」の質が当然変わってくるかもしれません。悪い事ではなく、成長したという意味で。
この女の子は10代だから、あれもしたいこれもしたいがとても素直でありふれているであろうという印象でした。面白い事に、これの「願い」が一つも被っているのがないことです。

書きながら、誰かに自分の願いを叶えてほしいかって思案しながら考えてみましたが、正直に言うと思い浮かぶことがないです。(笑)行きたい場所は、自分で行くから良いし、嗜好品で欲しい物ってない、あれば必要なのか考えてから買うだろうからなってなります。
でも、これで終わってしまうとタイトルの回収終わらないじゃないかというのもまた事実ですね。自分自身にああしたい、こうしたいはないけど7個のマトリョシカを全部懸けて、子どもたちが自分はこれをもっと深く追求したいという分野が見つかって、それを邪魔させない見守る環境が整うというのを願いたいです。


一つだけ、思いつきましたがそれはマトリョシカの真っ暗な中に隠したいと思います。
おまけで言うと、私は好きなものを食べる時は、とりわけ全部食べられない物がないときには先に食べて、苦手なものがある時はそっちを先に好きなのを後に食べてしまう傾向があります。

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