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私が「個人」で働くことを選んだ理由

「なぜフリーランスを目指したんですか?」

先日、こんな質問をいただいた。

質問を機にいま一度「なぜ?」を振り返ってみたい。

まず、「フリーランス」の定義をする必要があると思う。

個人の働き方には2種類ある。商店やカフェなどの事業を持つ自営業の仕事と、企業や個人から委託を受けて行う請負の仕事だ。

一般的にフリーランスとは、後者を指すことが多いのではないだろうか。

私は両方の仕事を持つパラレルワーカーである。

なぜこうした働き方を選んだのか。それに答えるには、私の状況を話す必要があると思う。

なんとかなる。地方移住に至ったメンタリティ

私はいま熊本県の天草市というところに住んでいる。歴史の教科書に登場する、あの島原・天草の乱が起きた場所だ。

もともとは横浜に住んでいたが、家族でIターンした。

出身は神奈川県横浜市ということにしてはいるが、私には「地元」というものがない。父が転勤族だったせいだ。

数年おきに引っ越しを繰り返すのは、はたから見ると大変と思うかもしれないけれど、私は転勤を楽しみにしていた。

見知らぬ場所になじみ、そこで新しく人間関係をつくっていくのは簡単ではないかもしれないが、たとえ合わなくても問題ない。数年辛抱すればリセット。と幼い頃から思っていた。

早くからそうした環境にあったせいか、私は未知の場所や、やったことがないことに対する抵抗感が少ない方だと思う。

できなかったことができるようになるのは、ゲームのキャラクターがレベルアップするようにおもしろいことだと思っていたし、合わなかったらやめればいい。

それだけのことだからだ。

そうして大人になった私は、よく言えば、好奇心がありチャレンジ好き。悪く言えば、飽きっぽい人間になっていた。

地方へ移住するとなると、それまでの仕事を辞めることにはなる。

ほんの数年前までは、いまよりずっと選択肢は少なかった。

けれど、なんとしてでも続けたい。そう思えるほど強い思いも持っていなかった。

それよりも移住の話が持ち上がったとき、生活環境を大きく変えることへの興味が勝った。

私には田舎がなかったので、田舎暮らしがどういうものか経験してみたかった。

一度きりの人生。そういう人生を歩んでみるのも楽しいんじゃないか。まぁ、なんとかなるだろう。ということで行動に移したのは2014年のことだ。

いつも何かにイライラ。誰かのせいにしてグチっていた

ただ、実際に移住してみると、地方で会社員という選択肢は報酬の面でも、仕事の中身の面でもなかなか厳しいことがわかった。

それなら、これまでの延長線上にある仕事ではなくまったくやったことのないことをした方が、きっと刺激的で楽しいに違いない。

移住後しばらくは営業の仕事に就いていた。

その人の状況に応じて「それならこういうものがありますよ」と提案し、その提案を採用してもらえることにはやりがいがあった。

それまで経験したのは内勤の事務仕事だったので、頑張りが反映される報酬の仕組みもおもしろかった。

思い返せば、勤め人時代の私はいつも何かにイライラし、不平不満を言っていた。

有給休暇をとっても毎月変わらず給料がもらえるし、厚生年金や雇用保険もついている勤め人という身分は魅力的だ。

しかし、それと引き換えに勤め人である以上、やりたくないこともやらなければならない。

組織が進む道に私の意思が反映される可能性は少ない。そんなところで作られたものを勧めることは、目の前の人の幸せにつながるのか?

だから私にとって仕事はどこか他人事だった。

いつも何かに対して怒りを感じていたのは、自分とは関係ないところで物事が進んでいくことへのいらだちだったのではないかと思う。

だったら、自分の商品やサービスを売ったらおもしろいんじゃないか?

自分の事業なら、誰かの意向に左右されることはない。決めるのも実行するのも全部自分。自分がよいと思うものを勧めることができる。

失敗したら全部自分の責任だ。けど、自分で決めたことで失敗したなら「誰かのせい」と思うより、よほど幸せなことなんじゃないかと思った。

そんなわけで、自営業することが先に決まった。

思えばそこに書くことがあった

だが、問題は私が飽きっぽいということだ。外からの刺激も受けられる環境にいたい。

それに、1つしか仕事を持たないのは、なにかあったとき危険ではないか?

なので「複業」することにした。

なぜライターだったのか。というと、頑張れば自分にもできそうで、興味のある仕事だったからだ。

東京では役所で働いていた。役所のメールボックスには省の内外から毎日大量の長文メールが届く。

それを読み、省内の適切な担当者に割り振るのは若手職員の仕事だった。

中には一読しただけでは何が書いてあるのかさっぱりわからない文章もあった。

この文章が伝えたいことは何か。
元のメールよりどれだけシンプルにできるか。
添付資料のどこを見てもらいたくて、いつまでにどんなアクションをしてもらいたいのか。

それを読解し、どう表現すれば言いたいことが伝わるかを考えることに私はある種のゲーム性を感じるようになっていた。

毎日大量の文字を読んで、それを変換することに熱中していた私にとって、書くのは合っている、と思う。

この仕事はラクではない。でも、楽しい。最近は書くことと、自分の事業とのつながりも見出すことができるようになってきた。

おもしろいのは、インタビューの仕事だ。インタビューさせていただいた方から、考えが整理された、自分でも言葉にできなかったものを的確に表してくれた。と言ってもらえるとうれしい。

「書く」技術に目がいきがちのライターだが、実はそれ以上に大事なことがあることに気づいたのは最近のことだ。

本人が楽しければOK。働き方に上も下もない

冒頭の問いに戻る。

「なぜフリーランスを目指したのか」への答え。

組織に属さず「個人」で働くことは、私の目指す生き方にマッチする。誰かのせいにして生きる昔の自分を変えたかったのかもしれない。

いろいろ書いたけど、一言で言うなら「楽しそうだったから」だと思う。

近年、個人で働いた方がいい。みたいな空気が広がっている。

けれど、みんながみんな個人で働くことに向いているわけではないし、どっちが上とか下というこの風潮は問題だと思う。

組織で働くからこそ得られるものも間違いなくある、からだ。

フリーランス協会より3月29日に開催される報道発表イベントでパネリストの一人として発言の機会をいただいた。

発言者は私一人ではないから、こんなに長々と話すわけにはいかない。

端的に、わかりやすく。それでいて自分らしい答えとは何か。

もう少し熟成させた方がよさそうだ。

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