自分に戻る意識を持ちながら創りたい
価値の提供って人ありきなところがあるから、どうしてもそこのニーズに応えなきゃいけないと思いがち。
実際のところそうだし、しょうがないといえばそれで終わってしまうんだけど、そこに疑問を抱いてしまったからしょうがないよね。
しっかりと自分の世界観を創って、それを魅力的に見せて価値を生み出している人は一定数いて、そういう人たちのようになりたいわけだ。
結局僕たちは何と戦っているんだという話になってきてしまうし、自分が何をしたいかという話にもつながってしまうから面倒という曖昧な表現をしたくなる。
情報も見せ方で印象が変わるっていうところで、無駄に雑音が多いよね。
お金というものにしてもそうだし、全てにおいて言えることなんだよね。
1つのことでもいろんな面で捉えられるから、勝手に広げられてしまう感じ。今は繋がりすぎていて余計にわけわからなくなっている。
そんなネガティヴな思考で捉えたところで、現実はそういうもんとして生きていかないといけないし。辛いことや苦しいことももちろんあるとして、それでも前に歩かなければいけない。
境界線を引かないと認識できないからしているだけであって、そこに実際は何もないのにそこに対してエネルギーぶつけてるみたいな。
とはいえ、何かしらのエネルギーを生み出して視覚化させないと循環してくれないっていうもどかしさ。
多くの人は、そのことに対してなんとも思っていないだろうし、むしろその中で生きているから、こんなこと言っているのは頭おかしいんだよね。
実際のところ、抽象的なことで悩んで勝手に苦しんだところで、現実的な話にしていかないと意味ないからさ。
そういったこともトータルで考えて、世界観を創って現実を生きている人ってかっこいいなと思うわけ。
深い部分は表面ではわからないけど、そこから生み出されたものって自然と熱狂するようになるんじゃないかな。
とはいえ、頭おかしいのと紙一重だから発掘されないまま終わることもあるわけだ。
発掘されるより前に、自分自身で閉ざしてしまうことも多いと思うんだけどね。
どうにかして、ここの現実に引っ張ってきたいわけよ。
モヤモヤしているもっとこうしたいっていうのを面倒と捉えないで、現実にして生きたい。
きっと気づいている人たちは多くいて、それでも今までのやり方に引っ張られてしまうというのがある。
うまいことシフトできたらいいんだけど、なんせモヤモヤしてるからよくわからないんだよね。
だから、現実に引っ張られずに自分に戻りつつも、現実を動かしたいという意識をしたいわけだ。
ちょっと何言っているのかわからないけど、そういうことだよきっと。
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何事も訓練しないと上手くならない。ずっとやり続けていたら何か起こるだろう。というかそうなる。信じるのみ。
なんかいいなと感じたら、缶コーヒーください。ありがとうございます。スキです。