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良いものにしないといけない縛り


いつもお疲れ様です。


どこに向かっているのかわからないまま、とりあえず目の前の出来事を対処するのに精一杯。周りを見渡すと良い生活をしている人たちがいて、自分の人生ってこんなものかと思う。何かと縛られることが多い世の中。一体どこに向かっているのだろうか。


「勉強をしなければいけない」

「一生懸命取り組んだ方がいい」

「やらないよりやった方がいい」

「より良いものにしていかなければいけない」


普通に生活していると、どこからでもその生活に対して、今の現状に満足していますか?といったものが流れていて、不安に襲われることもある。よくよく考えると完全に満足してはいないにしろ、充実感はあったりする。波があるからよくわからないといえばわからないけど。


良くしていくといっても、人それぞれ価値観が違っていて、求めるものが違うのは考えてみたらわかることだ。しかし、同じようになりたい心理が働いてしまい、どうして自分はこんなことをしているのだろうと思う時もあったりする。

みんながしているからしている。当たり前だからしている。みんなが求めているということはそこに幸せがある。成功するには生産性を高めてよりよくしていくことがいいに決まっている。


いろんな情報に触れることができるし、いろんな生活もみることができる。自由すぎるが故に、どれを選択したら幸せになれるのかわからないといったこともあるのだろうか。


夢を追い求めている時がいいのだろうか。なりたいもののために一生懸命に動き回って毎日を生きている。でも、理想はそのなっている時の生活であって、今この瞬間の求めている生活は苦しかったりもする。でも、一生懸命に取り組むからこその充実感というのはある。


いわゆる普通に働いて、普通の生活をしていくのも良かったりもする。帰る場所があり、ご飯があり、たまに旅行をしたりして気分転換。そういった生活の中で、たまに出てくるやっとけばよかったという後悔を連れて。


今あるものに感謝して、やりたいことをしていけばいい。意外と探せばすぐ見つかるものだ。そういったものに気づく能力もまた人それぞれだと思うけど。そして、その中で楽しめるものに対して夢中になればいい。



一体どこに向かっているんだろうか。



限られた中で、楽しく生きるというその行為は儚く散っていく。有名になって、人から注目されるのがいいのだろうか。社会貢献してどれだけ後世に残せたかがいいのだろうか。目の前の幸せを楽しめばいいのだろうか。


何がいいのかわからない。


そもそもいいものなんてあるのだろうか。考えるからしんどい。考えなければ良い。楽に生きる。全部手放して、良いも悪いもないただあるだけとして、ただ生きていくというのであれば人間である必要はあるのか。


複雑に絡んだものを頑張ってほどいてみても、一本でできた糸だと気付き、たどり着くところは結局同じ。


それは一体どこに向かっているのだろうか。


縛られるのも縛られないのもどちらも同じなら、望む方を選択するだけだ。


縛られる人生に生きがいを感じるならそれでよし。

縛られない人生でのほほんと生きるのもよし。

良くしようと思わない人生もそれでよし。

何をいっているのかわからなくてもよし。


良いものにしなければいけないという縛りは、自分がいいと思うならそのままその状況をよしとして楽しめばいいのです。





傍観者の戯論

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