どこにも逃げる場所がないという闇
自分の主張に対してあまり自信が持てないと、ついつい傍観しがちになる。正直周りと同調していた方が楽だし、意見したことによる影響もないからだ。争い事は好まないし、空気を乱すような目立ったことはしたくない。
外から眺めながら、その空気に溶け込んで何もいないようなポジションが楽だ。一番良い生き方がこれだと思っていたし、波風立てないように振る舞うことがいい人だと思っていた。
でもある時から、自分の主張を言わないといけなくなる。
「あなたの意見を聞いている」
「感想を聞かせてください」
「これはどういったことなのか説明して」
そんな自分発信のことなんて考えたことがなかった。いかに何もせずにいられるか。いいやつだと思われるか。当たり障りのない人間になっていた。
自分ってなんだろう
傍観していた側からすれば、自分の意見を押し通してまで場を乱していくというのは大変そうだと見ていた。結局はそう言った人たちの方が、自分の理想を現実に落とし込みやすいのだと思う。
生きるにはわがままな方が良い気がする。
当たり障りのないように生きるために生きているのではないし、自分の人生のために生きようと思う。でも、そんなことさえも通り越しているのだ。
今までだって生きていたし、今までの生き方が違うような気がして、色々探し回ってみたけれど、結局この世はただ生きるのみ。
生まれることはすごいとか、生きているだけで素晴らしいとかそう言ったものはあるよねとした上で、現実的には何も変わらない。
もちろん生きやすくはなったのかもしれない。世の中の見方が変わるだけで現実は何も変わっていない。根本的な生きる動機みたいなものがないという。心臓が動いているだけの時間で、やりたいようにやればいい話であって、好きに遊べばいいんだというのを通り越して、全てが虚無だという。
その虚無の中で、受動的になるか能動的になるか。そういうものだとして、ただこの一瞬を生きていく。どこに向かうかというこれをして何になるんだという思考を捨てて、この瞬間にのみ集中する。
逃げ道を探して、恐怖に飲まれて、どこにも逃げ場がないと思っているかもしれないが、そもそもその今の場所が逃げ場である。闇そのものが逃げ場所だったりするのかもしれない。光を求めている間はずっと苦しんだままだ。
全てを投げ出して、身軽になってこの世を遊び尽くせばいいし、全てが虚無なのであれば苦痛を感じる必要性はないとして全て断ち切るのもいいし、何もかもどうでもよくなってもいいんだ。
僕はそれをただ眺めている。
傍観者の戯論
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