最初から何もないから堂々としたい
誰しもが何も持っていない状態で生まれてくる。
いつからか枠を設定してそこに収まろうとしてしまっている。
もちろん物理的な差がそこにはあるかもしれない。
でも、必ずしもそうとは限らないこともある。
自分を最大限魅力的に見せる能力って、いいよね。
どうせ自分はこんなものという枠を設定してしまうと、その通りの現実を望むようになってしまう。
なりたいものを望みつつも、自分はできないよねという下手な望み方。
素直になることも難しいというところ。
この変な思い込みたちを紐解いて、解放していくことがこの世界で軽やかに羽ばたいていけるコツではあるんだけど。
ずっとそう思ってきたものを頭でどうにか捻じ曲げるのがなかなかの修行だ。
とはいえ、真に自由になろうとするにはその思い込みを解いた先、どういった現実を望むのか、そしてその行動をしているかどうか。
まだ道のりは長い。
私はまだ現実に対してぶつけているそのエネルギーがどこから湧いてくるのかわからないでいる。
衝突を避けようとした先には何もない。
しかし、それを望んでいる自分がいる。穏やかな日常を求めると自然とそうなってしまう。
でも、循環させなければ現実の変化が訪れないという矛盾したものにより動き方がわからない。
この記事に書いた自分に戻る意識。
欲しい現実をしっかりとここに創りたい。
何にもないところから作り出そうとしているわけだから、もっと楽しさだけを感じていればいいのだと思う。
不安を感じる必要性なんてないんだ。
だって、最初から何もないんだもの。
ワクワクした感情のエネルギーで生み出される純粋なものは、未来も楽しいところへ連れていってくれる。
どう捉えたっていいのであればそう信じて進むだけ。
堂々と前向いて歩いていく。
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傍観者視点っていうのは、何もないようでいて別の視点から見ると攻撃的なポジションにもなりうる。難しいよね本当に。どのようにしようが色々なものが湧いてくるなら、やりたいようにやるだけなんだよ。欲しいものを素直に欲しいですと望む。
なんかいいなと感じたら、缶コーヒーください。ありがとうございます。スキです。