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「甘えたい」とは「同一化したい」という「自然な」欲求
ところで比較的最近になって、フロイドの同一化(identification)の概念が実はまったく「甘え」に該当することを悟った次第である。
こちらは大ベストセラー、『「甘え」の構造』からの引用です。
「甘え」とは何かと言えば、ひと言で
「愛されたいと願う欲求」あるいは「受け入れられたいと願う欲求」といったところです。
心が平静で、「自然に」振る舞うことができる人というのは、要は「甘えたい」という欲求がほぼ満たされているため、その自覚すら薄いのです。
反対に「甘えたい」という欲求が満たされていないと、難しい心理状態に追い込まれます。大人になって、いや子どもであっても、そうそう他人に向かって「甘えさせてください」などと言えたものではありません。
というより、まさに「甘え」を切実に欲しているときほど、そういった欲求を発信できなくなるのです。
甘えとは相手の行為を宛にするという意味であり、甘えられないとは相手が好意的とはとうてい思われないという状況だから、甘えさせて欲しいときほど、「甘えさせて欲しい」などと言っては屈辱的でいたたまれない事態に追い込まれるとしか思えなくなるのです。
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