第二六回:凝り固まった固定観念を解く〜単推しに意味はあるのか〜
Ⅰ.はじめに
頻繁に考えることが一つある。アイドルを推すこととはどういうことなのだろうか、と。もちろん「推す」の定義として“人や事物を、ある地位・身分にふさわしいものとして、他に薦める。推薦する。“とするものがある。「推す」の意味もしくは定義はこれで合致しているような気もするが実際にはどうなのであろうか。応援する気持ちだけに留まっている人は少ないのではないか。アイドル、それも地下アイドルの世界では特に感じる。つまり趣味の範疇で止まっている人が少ないのではないだろうか。生き甲斐になっていないだろうか。趣味と生き甲斐は大きく乖離したものだ。
「趣味が生き甲斐」になってしまうと確かに物理的に趣味が無くなるまでは生きる意味が見えてくる。これは果たして喜ばしいことなのであろうか。では、その趣味がポンっといなくなったら?
Ⅱ.次に
①空前絶後の単推し
「この子しか見えない」
「この子にしか興味がない」
「この子さえいればいい」
結構である。しかしこの考え方には疑問が生じる。果たして本当にそうなのであろうか。人と人の繋がりを商売にしているからもちろん大事なことではある。そこだけに留まらないのはもちろんであるが、アイドル側から見れば大事な一人のお客様でありそのお客様が固定化されることは望んでも望みきれないものなのであるから。だが、その”お客様“側からの視点はどうなのであろうか。先ほどから述べている通り否定しているわけではない。だが僕が言いたいことは「柔軟な視点」を持つことである。もしその一つの生き甲斐が途端に消え去ったら?と思うと怖くて眠れない。その恐怖と戦うことができる人間だけが選択肢を狭めて良いのである。
途端に消え去ることに対して免疫がない僕みたいな人間にとっては途方もない苦労である。元来人を失うということに慣れていない人間はその苦しみに太刀打ちできない。その苦しみまで飲み込んで一つの思い出にすることは可能であるがそれが思い出になるのはせいぜい2、3年後もっと先かもしれない。その間に後悔になりかねない。後悔することが趣味の中で一番もったいないのだ。
②単推しの良い点
個人的には単推しの良い点があまり思いつかない。周りに誇れるところだろうか。お金が節約できる可能性があるところだろうか。それとも一途な方が“ヲタクとして”良いというそれこそ凝り固まった考えだろうか。何かしらの恋愛感情と間違っていないか。趣味と恋愛が別であることは言わずもがなである。ここの境界線をあやふやにしているのがとても“うまい”と客観的に見て思うトホホだ。だがやはり今までの固定観念の逆説から新たな考えが生まれると思う。
③この世で一番難しい言葉、行動の一つ
“推し”から言われる「他の人行かないで」をどう捉えるかも大事である。間に受けるのももちろん大事だ。その方が物事がスムーズに進んでいく。そしてそこで縛られて興奮するのももちろんアリ。推しの気持ちを無視して利己的に行動するのももちろんアリだ。
このパターンもある。推しに必要とされていると感じることからそれが生き甲斐になるパターン。そう感じることは素晴らしいと思う。信頼関係が無くてはそこまでいかないものであるから。“共依存”と呼ばれるものである。この場合はシーソーゲーム。どちらかが重くなったら負け。そこからは苦しいだけ。均衡を保つ難しさはシーソー経験者なら分かるはずだ。
④一番良くないこと
何かを否定することは何も始まらない。否定と逆説は全くの異なる種類のものであるのだから。多角的に物事を見る重要性に気づいてほしい。
Ⅲ.最後に
あいもかわらず支離滅裂な文章になってしまってはいるが要約するとこうである。限りなく選択肢を広げておくこと。これによって趣味の範疇を抜け出さないのだ。視線が狭くなれば複数の道が閉ざされてしまう。一本化するともちろん良いこともあるだろう。だが、せっかく乱立していた別のチャンスをみすみす逃してしまうことになってしまう。もちろんそれで後悔しない人間もいるだろう。後悔しない人生を是非送りたいものである。そのためにはやはり凝り固まった考えを柔軟に紐解いていくことが選択肢を広げることに繋がるのであり精神を安定させることに繋がるのだ。
つまり、選択肢を広げることは多角的に物事を見ることなのである。実害が無ければ何も否定をしてはいけない。その人の考え方、行動には何かしらの意味がありその人の趣味の範疇で止まっているのだからさ。そこから実害が生まれてきたら別である。それは淘汰されるべき人間になってしまう。
長くなってしまった。何事も依存することは良くないことである。酒でもそうギャンブルもそうタバコもそう。もちろんアイドルもそうである。もう手遅れの人には何も言うまい。ただ一つ立ち止まって心に手を当ててほしい。単推しで幸せであると感じてほしい。
※
ちなみにもちろん単推しで趣味の範疇を超えないことが一番だとは思う。ただこれも一種の固定観念ではあるのだが。
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