【不登園記録#10】3歳5ヶ月、保育園お休み3週間目。給食を止める。
私が全部責任を取る。
私がこの命を守る。
私が私が私が…と自分で自分を潰しそうになる。
ぎゅっと握ったものは、自分にしか手放せない。
でも力をずっと入れすぎて、抜き方を忘れてしまった。
少しずつ、少しずつ。
開いていきたいのに。
開こうとすると周りへの愚痴が出てくる。
例えば、不登園は夫にとっては家庭で起きている問題。
でも、私にとっては人生の問題。
この温度差にずるさを感じる。
そして、また握りしめる力が強くなる。
◇ 不登園について夫と初めて真面目に話す
大きな駅に新幹線を家族で見に行った。
駅に着く手前で、彼はギャンギャン泣いた。20分以上泣き続けて、久しぶりに何もできなかった。
後から聞くと、「眠たいけど見たかったの。」と、両方の気持ちにうまく折り合いが付けられずに泣いた事が分かった。
複雑な感情を抱けるようになった事と、それをコントロールできる成長のスピードに差がある事を感じる。
帰り道、彼が寝てくれた。夫と話す時間ができた。
「夜も寝ぼけて行きたくない。というから無理はさせられないよね。」という事は共通認識。
集団に入っていく為に、自分の気持ちを家族以外の相手にも上手く伝える技術が必要だと思う。と私は言う。
保育園でそのステップを踏むより、療育に通った方が成長が見込めそうな事も伝えた。
夫は「家では折り合いをつけさせるより、大人が折れてしまうことが多いから自分の思い通りにほぼ全ていっている。その関わり方が良くなかったのかな」とつぶやく。
どう家庭で関わるのが良いのだろう。
「保育士さんの彼への見立てが甘い気がして、頼れない。」と私は言う。
「SOSをあまり出せない性格だから、集団の中だと困っていない自分で完結させちゃう子なのかもね。」と夫が返す。
夫は、仮説も結論も出さない。
ただ目の前の事実や過去起きた事をクリアに見る人だ。
私は物事を前に前に進めたくなるし、生理的に良いか悪いか。という感覚にも左右される。
夫は選択肢は出さないし、決めないスタンスだった。私は自分で決めたい人なのに、選択に自信がない時には、夫に当事者意識が足りない。と溝を感じたりする。
そのうち独りよがりになって、頼らないでいることが自分の心を守ることだと思っていた。
でも物事の見方が違うなら、それぞれの視点を活かせば良かった。
彼の状態や選択肢の理解を深める時に夫を頼ればいい。
彼に必要な環境を選ぶのは私が担えばいい。
全部を二人三脚で進めなくたって、適材適所で補い合える関係でいればいいんだ。
お互いの見えている事を話して、夫婦のバランスが改めて見えてきた。
◇ 怖い夢
新幹線を見に行ったその日の夜、怖い夢を見た。
ターミナル駅に家族3人でいた。
夫が子どもを見ていると思っていたら、夫も私が見ていると思っていた。二人して我が子を見失った。
それを理解した途端、心臓が飛び出しそうに鳴り出した。その鼓動は足も震わせ始める。
必死になって周りの人をかき分けながら、我が子の名前を叫びホームを直進する。
ふと20m先くらいのホーム下に、いつも我が子が着ているグレーのTシャツ姿の子どもがうつ伏せになっている。
我が子が線路の真ん中で倒れている。
1人の駅員がホーム上からどうにかしようと、かがみ込んでいる。
直ぐに飛び降りて向かおうと思ったその瞬間。
背後から特急電車が近づく音と風圧を感じた。
ここで私が飛び降りて死ぬだけでは意味がない。
あの子が倒れている位置は、運良く電車の下に入り込んで最悪の事態は避けられるかもしれない。
やけに思考は冷静だった。
というより動けない理由を瞬時に考えていた。
言い訳をしたい時の独特な思考の速さだ。
ここまで夢を見て、もう怖いから起きよう。と思って起きた。
心臓だけが、とても痛かった。
私がちゃんと彼を見ていないと。
一瞬の気の緩みで彼の命を守れないかもしれない。というプレッシャーは彼を産み落としたその瞬間から、ずっと抱えていた。
この恐怖を誰かと分け合いたい。
そのくせに、誰かに頼ると大きなミスが起きる気がして怖い。
早くその尊い命を自分で育めるくらいに彼に育ってほしい。
多分そんな気持ちが、あの怖い夢を見させた。
だからやっぱり、私一人で力強く握りしめすぎなんだ。と反省した。
◇ 消去法
ここ数日、先生から提案された短時間での、保育園慣らしをするか悩んでいる。
自分の選択しようとしている道は、偏った思考になっていないか?
子どもは今を生きているからこそ、中長期的な視点に立った選択を与えないといけない。
自分の意思決定にずっと自信が持てない。
だから人の成功体験と失敗から学びたくて、検索魔になっている。
自分で選んだ道を正解にしていけばよいと思っているけど、選んだ先の結果が不透明すぎて選べない感じだった。
そんな時、ある不登校漫画を読んだ。
それを読み終わって思ったのが、「そうだ。選択肢を選ぶ時は消去法も使えばいいんだ。」ということ。
これはやらない。を決めていくことだって選択だ。
「本人の意思を無視する状況になることは、やらない。」と決めた。
それからは早かった。
保育園への窓口は夫に担ってもらうことにした。
それは、窓口になることで不登園の状況に関わってもらいたかったのもある。
でも、保育園側への強めの意思表示の意図が強かった。
男親が出れば、出した結論をそのまま受け取って貰いやすい気がして、そのカードを私は切った。
給食費も翌月1ヶ月分、止めてもらう事を伝えた。
数週間単位でのお休みではなく、数ヶ月単位での様子を見る環境にした。
次の日の夜、彼に言う。
「保育園はしばらく休もう!友達や先生に会いたいな。保育園遊びに行きたいな〜と思った時にはいつでも行けるから教えてね。」
反応は、目も見ないでご飯を食べすすめながら。ふん。といった感じ。でもきっと聞こえていた。
その後3,4日は検索魔が少し落ち着いて、母の睡眠時間も少しずつ増えてきた。