【不登園記録#8】3歳5ヶ月、1週間ぶりの登園で母は長期休みを覚悟する。
逃げることにもたくさんのエネルギーが必要だ。
ここ最近は、逃げ癖という言葉が胸に引っ掛かる。
楽しい時間だけを与えていて良いのか?行かないことは、怠けではないか?私は甘えさせている母親なのか?
楽な方に流れないように、自分が最後の砦として構えてあげないといけないのではないか。
そんな事を考えながらも、どうにか毎朝保育園に通うという事から逃げた。
そもそも、「逃げ癖が付く」って言葉の主語は誰なのか?
正しいと思える社会の仕組みや王道な選択肢を主語にして、今まで当たり前に生きてきた。
でも我が子が不登園になって、自分達を主語にして生きていく覚悟が問われてるみたいだった。
◇ 私が甘いのが原因?
妹は遠くの島に住んでいる。久しぶりの帰省に、祖母や妹の友だちを呼んで歓迎会をした。
彼は朝から英語教室や病院に連れて行かれて、とても疲れていた。帰宅中に車で寝て、起きた頃には夕飯をみんなが囲んでいた。
寝起きでグズグズしていて、それでも私はご飯を食べさせたくて、ソファーで動画を見ている彼の横に座って食べ物を口に運んだ。
それを見ていた妹は、「そんなことしてあげてるから、いけないんだよ。放っておいて自分で来るまではお前はこっちで食べなよ。」と言う。
私が甘いのか。と悔しくなって、言われた通りにした。
案の定、30分以上彼は激しく泣き続けた。それを見せつけて、「ね、だから無理でしょう!」と伝えた。結局、彼の隣に座って夕飯を食べさせる。
「泣いたら来てくれると思わせるからいけないんだよ。」とまた言われる。
でも彼は多分、まだ突き放しておいて自分で気持ちを整理できるほどに、心が育っていない。それは毎日見ている私が一番分かっていることだ。
◇ 久しぶりの登園
1週間お休みをしてどうだったかを伝える面談があり1時間だけ登園することになった。
僕は車で待っているよ。と彼が言う。
周りから見えるのが嫌なのか?と思い、私の上着で頭を覆って連れて行った。でも、「足が見えてるよ」と泣く。
先生に、彼も一緒の部屋に居させてもらって面談をさせてくださいと言った。でも先生は「みんなのところに行こうか。」と無理やり部屋に連れて行ってしまった。
面談では、合理的配慮についてなどを伝えた。しかし、彼はそんなに大変な子ではないという評価が先生にはあって関心を持ってもらえなかった。
母子登園についても希望をしたが、他の子に影響が出るのでそれはできない。と言われる。だいぶ不信感が募る時間になってしまった。
面談が終わって彼の過ごす様子を見たいと伝える。
リトミックの時間だった。ホールの後ろから隠れて見学をさせてもらった。
彼は自分で椅子を出して座った。30分間背筋を伸ばしてただまっすぐにみんなの活動を見ていた。先生からも、誰からも声をかけられずに。
その背中が切なすぎて辛くなる。
目の前では楽しそうにクラスの子が楽器を演奏したり、汽車のように繋がってクルクルと走り回っている。
彼は音楽大好きだ。
いつも家では、歌ったり踊ったりしている。
年少に上がる時にリトミックが一番楽しめる時間になるだろうと母は思っていた。
でも、きっと先生がやりたい動きを求めるその時間は、正解を自分が表現できるか不安になって自由に体が動かないんだろう。
だから真剣に観察をして、30分の授業の流れを覚えようとしている。
お迎えに行くとTシャツは涙でびしょびしょに濡れていた。
目をこすりすぎて右目の下には大きな水腫れができている。
先生には、一人で静かに見学できていましたね!と嬉しそうに声を掛けられた。
3歳の子が?30分まっすぐに座って一歩も動かないことが嬉しいことなのか?
先生にとっては良い子だとしても、私にとってその姿は不自然だった。
帰ってからは喘息の気管支からゴホゴホ言うような咳が寝るまで止まらなくなった。
寝てからも3,4回起きて、保育園嫌だぁとうなされて泣く。
1週間かけて治った症状がたったの1時間で再発していた。
彼にとって保育園は、とてもストレスの強い場所になっていることを痛感した。
もう、しばらく休もうね。と寝顔を見て思う。
◇ いけない理由が知りたい
次の日、彼にしばらく保育園を休もう。と伝えた。
「それでさ、あなたに合う保育園を探してみようよ〜」と提案をする。
でも彼からは、「もう分かってるよー。家がいいの!」と言われる。
そうだよね。そうなんだけどさ。
私は、見通しが立たないことが不安なんだよ。本当にずっと家にいていいのか。分からないんだ。仕事だっていつまでも休めるわけじゃない。
ちょっとした隙に、あれこれと質問をしながら、本人に「保育園に行ってみようかな。」と言わせたい自分がいる。
明確な何か行けない理由を排除したら、また行けるようになるかもしれない。
行けない理由を求めてしまう。
私は、まだ彼のペースを一番には考えられていない。
どこかで、社会的な王道に戻そうとしたり、自分の思い通りの生活に戻る道筋を探してしまう。