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命日なんていらない


わたしは、おじいちゃんが亡くなった日を憶えていない。

亡くなったことを知ったのは、何年前だったろうか、父からの電話だった。バイトを終えて、スマホの通知を確認すると、珍しく父から連絡が入っていた。何か怒られることでもしたかなぁ、くらいに思っていた。今思うと、その方がよっぽどよかった。
耳の外で鳴る電話越しの父の声は、なんだか他人事のように聞こえた。そのくらい、おじいちゃんの死は、噓みたいだった。バイトを終えて帰宅した私の生活も、おじいちゃんが死んでないみたいに、いつも通りだった。それが堪らなく悲しくって、夜中に声をあげて1人で泣いた。あんなに泣けたのは久しぶりだった。

頑固で、無愛想で、本当はとても寂しがりなおじいちゃんは、わたしの心の支えだった。おじいちゃんは私のことがだいすきで、私のことをいつも考えてくれていて、私はおじいちゃんに愛されていると、何故か確信をもってそう思えていた。私はおじいちゃんのいちばんだということが、当時の私の存在の保証だった。

辛くなると、おじいちゃんを憶い出しては泣くようになった。辛くて泣きたい気分の時でも、涙が出ないくらいに、私の感性は枯渇していたから。おじいちゃんを想うと、空から雨が降るように、自然と泣くことができた。おじいちゃんに愛された記憶は、亡くなってからも私を支えてくれていた。


学校を卒業して、働くようになってからは、忙しさにかまけて、おじいちゃんを想う回数は減った。誰しもいつかは終わりがくるなら、おじいちゃんはあの時亡くなって幸せだったのかもしれないと、働きながらよく思うようになった。          命綱に繋がれて、縛られるように生きることは、必ずしも死ぬよりマシとは限らない。生き方も、死に際も、人それぞれだけれど、納得して死ねる程、立派な人間はそういない。大抵の人はみんな、生きるか死ぬかの話になると、延長戦に持ち越そうとする。私はそれがどうも嫌いだ。私はすこし、おじいちゃんに似ていたから、おじいちゃんもきっと、おんなじように思ったんじゃないかな、なんてまるく考える。                                    もう2度と会えないから確かめることはできないけれど、だから勝手にそう決めつけておこうと思う。残された人間ができる唯一の我儘だから。  もう2度と会えない現実を受け入れられなくて、夜になる度に絶望していたけれど、最近は、ゆっくりとあなたを想う夜がすきです。



生きていれば、辛いこともある。
それはきっと、死ぬまで変わらないことだから、
私は死ぬまでおじいちゃんを想って生きることができる。それだけで、辛いことも幸いなことと思える気がする。

また私が辛くなるときまで、どうかお元気で。

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