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【小説】「過去と未来の中間地点」

 少年は雷に打たれたように立ち止まり、目を大きく見開いたまま近づいてきた。
「ねぇ、なんで文章なんて書いてんの?」
 私はペンの運びを止め、少年を見て微笑んだ。
「伝えたいことがあるからだよ」
「伝えたいこと?」
 少年は奇人を見たかような瞳で私を見る。その目は奥底まで澄んだビー玉のようだった。
「そうだよ。文章を書くのは嫌い?」
 その問いに少年は何度も首を縦に振る。
「だって、何書いたらいいか分からないんだもん。『自由に書け』って先生は言うけど、ホントに自由に書いたら怒るし」

 私の心に少年の映像が入ってきた。

 夏休みの最終日に読書感想文を書こうとしている少年。しかし何も思い浮かばず、『あとがき』などを書き写して文字数を稼いでいた。
 父の日の作文。家にほとんどいることがなく、構ってもくれない父親を無理矢理美化して、苦しみながら書いていた。
 詩を書く授業でも、ずっと原稿用紙とにらめっこしていて先生に叱られていた……。

「文章を書くことなんて何が面白いの?」
 少年はうんざりした顔でため息をついた。
「そうだね。無理して書くのは面白くないよね」
 気持ちは痛いほどよく分かる。顎に手をやり、うなずきながら打開策はないかを考えていたとき、少年が尋ねてきた。
「ねぇ、おじさんはどうして文章を書いてるの?」

 どうして?
 少し考えた。
 そして私は少年に伝えたいことが分かった気がした。

「読書感想文を書こうと本を読んだとき、君はどう思った?」
「……正直あまり読んでいない。本長いし」
「だろうな」
 予想通りの答えに私はうなずいた。
「詩は?テーマは何だった?」
「秋。何でもいいから秋を書きなさいって」
「秋で好きなことは?」
「好きなこと?栗とかイモとかが美味しい!」
「嫌いなことは?」
「夏の方が好きだから終わったのが寂しいし、寒くなっていくから嫌い」
「なんだ言えるじゃないか。それを正直に書けばいいんだよ」
「詩で?」
「そうそう。短い文にして書けばいい」
「そんなのでいいの?」
 私は大きくうなずいた。
「そう。上手に書けているかどうかじゃない。そういうのは先生に任せて、思ったことを書けばいいんだ」
 少年もうなずいた。
「それならできそうな気がする」
「お父さんのことだって、良いことを書こうとしなくていい。そのまま感じたことを書けばいい」
「えー、でも……」
「読書感想文だってそう。つまらなかったらつまらなかったって書けばいい。途中までしか読んでいないなら正直にそう書けばいいじゃないか」
「そんなことしていいの?」
「あはは。多分怒られる」
「だよね?」
「でも、文章ってのはさ、自分の気持ちを表す方法だ。言葉を喋るのと同じだよ」
 少年は二、三度うなずく。
「嘘をつくと心が苦しくなるだろ?文章だって同じなんだ。嘘をつこうとしたり、自分を良く見せようとするから苦しくなって何も書けなくなる」
「正直に書けばいいってこと?」
「そうだよ。お父さんが構ってくれないなら、もっと遊んでほしいって、文章にぶつけてみな」
 少年はハッと顔を上げた。
「読書感想文は短い物語でもいいから、まずはじっくり読んでみること。そして思ったことを正直に書いてみな」
「自由に書いていいって……そういうことなの?」
「分かったみたいだね。でもこれだけは注意して。時として文章は言葉よりも強い力を持つ。だからみんなが元気になったり楽しくなったりすることを書いてほしいな」
 少年はうなずいて口を開いた。
「ねぇ、おじさん。文章書くのって楽しい?」
「……楽しいよ。メッチャ楽しいよ」
 私の返答に、少年は満足そうに微笑んで私の中に消えていった。

 私は今、文章を書いている。
 小中学校のとき、嫌いで仕方なかった文章を毎日のように書いている。
 書くことが生業なわけではないが、私は私なりの表現で、伝えたい事柄を後世に繋いでいくために、これからも書き続けたいと思っている。

 驚いた顔をしていた文章嫌いの私。
 少年時代の私と共に、未来の私に会うために。

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