心の居場所をつくること
『居場所』を作る
先日『モノカキングダム2024』という企画に応募させて頂いた作品ですが、これが私がかなえたい夢の概形であり、理由です。
私の夢は、みんなの居場所を作ること。そしてそれが自分の居場所にもなることです。
通常『居場所』とは、身の置き所を示す言葉であり、自宅や、社会人なら勤務先、学生なら学校などが身の置き所である『居場所』となります。
自宅も、仕事も、学校も、それらの『居場所』は、自己の努力で獲得、維持すべきものです。
対して、私が作りたい『居場所』とは、そのような努力をする人たちを応援する『居場所』。どこに進めば良いのかわからなくて、悩んでいる人たちの『居場所』。そこで時間を過ごすことで『さて、頑張るぞ』と思えたり、心が穏やかになることでリセットできるような、心を整えられる精神的な『居場所』です。
言わば、物理的な居場所を獲得することを応援する精神的な居場所を作りたいのです。
そう思うようになったのは、いつも後悔している過去の経験からでした。
過去の経験
安アパートに住み、フリーター生活をしていた頃、たくさんの物理的な居場所がありました。
住んでいたアパート、バイト先、友達と連んでいる空間……。
その頃、私は明るいキャラを演じていました。いわゆる”陽キャ”です。
いつも笑っていて、ギャグばかり言っているようなキャラでした。
いつも周りの人に合わせ、いつも誰かと連んで、いつも大きな輪の中心付近にいました。
ふざけたことを言ったり、笑えるようなバカなことをしたり、ワイワイ遊んでいる集団の中にいることが楽しかった時期でした。
私が知らない人も私を知っていて、声をかけられたりすることもよくありました。
当時の私は、私の行動範囲では有名人だったのです。
『ふざけたヤツ』という意味において。
しかし、それは本来の私ではありません。
時が経つにつれ、日々苦しくなっていきました。とはいえ、突然キャラを変えることもできません。
行動範囲はどこに行っても知っている人ばかりなので、キャラを守るために、いつも明るく振舞うことを余儀なくされていて……。
気付けば心が疲労していました。
本来陽キャではない私には、毎日が辛かったのです。
そして爆発してしまいました。
きっかけは、ほんの些細なことだったと思います。
もしかしたら、記憶を消去したくなるほど、当時の私には重すぎることだったのかもしれません。
それが何だったのか今となっては思い出せませんが、心が『今』を強く拒絶しました。
私の中で何かがプツンと切れたのです。
今思えば、私は周りを気にし過ぎていました。もしかしたら、もっと適当にやり過ごせば良かったのかもしれません。
しかし当時の私にはそれができませんでした。
それまでのすべてが嫌になりました。
誰とも会いたくない。
そう思いました。
どこにも自分の居場所がない。
そう感じました。
その結果。
私は逃げたのです。
すべての縁を切って逃げたのです。
家族以外の誰にも知られないように、まったく知り合いのいない土地に引っ越しました。
誰への気兼ねもなく、アルバイトをして、アパートに帰って、好きな本を読んだり、グダグダとテレビを見て日々を過ごしていました。
どこを歩いても私を知らない人ばかりの環境が心地よく、誰からの連絡もない毎日が快適でした。
落ち着いて行動ができる『居場所』を見つけた気がしていました。
そんなある日、家族しか知らないはずの固定電話が鳴りました。
母親からだろう。
そう思って電話に出て、声を聞いたとき……。
絶句しました。
その電話は地元の友人からだったのです。
私の実家に電話をして、何度もお願いして、この電話番号を教えてもらった……とのことでした。
「おい!ふざけんなよ!俺との縁も切るつもりだったのか?」
その言葉から始まり、ガンガン説教されました。
でもそこには、私を心配し、気遣う言葉が溢れていて……。
そのとき思いました。
ああ……家族以外にも心配してくれる人がいるんだ……。
私はその友人に救われたのです。
物理的な居場所ではなく、心の拠り所となる『精神的な居場所』を見つけたように感じました。
かなえたい夢
性別や人間関係は創作ですが、先に紹介した物語の前半部分はこのときの記憶を基にしています。
今思えば、なぜすべての縁を切ろうとまでしたのかよく分かりません。
しかし、それから数年後、母がこう言いました。
「あのときがあったから、お前はまともになれたんだよ」
……確かにそうかもしれません。
いつも賑やかな所にいて、騒ぐだけ騒いで、お金を使いまくって、辛いことや苦しいことから目を背けて生きていましたから。
その生活を断ち切り、すべてを捨てたことで、自分を取り戻すことができました。
ですが、失ったものが多かったのも事実です。
まったく褒められた経験ではありません。
批判的に捉えられても仕方のないことです。
しかしこの経験は、色々な意味で今でも自分を支えています。
『居場所』は、己を持ち、人を支え、人に支えられてこそ得られるもの。
それが自分の生きがいとなり、人を生かすことにもつながること。
逆に言えば、人に寄り添い、人に力を与えることで、自分の力にもなること。
そんな思いを抱いている今の私がいます。
それを文章にしてみよう、と考えた物語が『185~IBaSho~』でした。
"居場所"をキーワードとして、主人公の『私』が一度壊れた自分から、己を見い出し、『彼』の声に支えられながら新たな道を進もうする話を書いてみたつもりです。
そして、その『彼』の行動こそが、私がかなえたい夢です。
ふとした瞬間に、精神的な居場所を失ってしまう人がいます。
家や仕事や学校などの物理的な居場所があっても、それが本来の自分の居場所ではないと感じる人がいます。
これからの自分の居場所を求めて苦しんでいる人がいます。
そんな思いを抱える人たちが立ち寄って、一時的にでも心が安らげるような居場所。自分を取り戻すきっかけになるような居場所。明日へのかすかな光見えてくるような居場所。
そういう居場所を作りたい。
それが私の夢です。
引き継がれる思い
具体的には決まっていないおぼろげな目標を明確化して進んで行こう。
そう考えてはいましたが、誰にも言わず心の中に閉まっていたある日のこと。
大学に通っている娘が、学部内のコース選択で悩んでいました。
「将来はどんな仕事に就きたいの?」
私が尋ねたときに娘はこう答えたのです。
「ボンヤリだけど、みんなの居場所を作りたい。悩んだときとかに相談したりできるような、ホッとできるような居場所を作りたい」
誰にも話したことがない私の夢。
それを知らないはずの娘が、私と同じ夢を抱いていたのです。
驚きました。
そのとき初めて私の夢を娘に話すと、娘も驚いた様子でした。
これは偶然ではなく、必然なのではないだろうか。
そう感じたこの日から、『心の居場所をつくること』は、私の使命であるように感じています。