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45年ぶりのブルクミュラー

はじめに

 『ブルクミュラー 25の不思議 』という本を読みました。飯田有抄・前島美保の共著で、音楽之友社から10年前に出版されたものです。しばらく入手しづらかったのですが、ブルクミュラー没後150年の今年になって増刷されています。

 この本を読むきっかけについては、以前noteに書きましたので、ここでは省略します。今回は3,600字程度の分量です。

バレエ音楽も作曲していた

 ブルクミュラーといえば、ピアノ初学者向けの教本『25の練習曲』が有名ですが、どんな人物かは全く知りませんでした。たぶん音楽教育一筋の人だったのだろうと、勝手に思っていました。
 しかしこの本を読むと、ブルクミュラーはピアノ教師であることの他に、ピアニストであり、作曲家でもあったことがわかります。サロン音楽的なピアノ小品の他、連弾用の編曲作品など手がけていたそうです。これらは19世紀のブルジョワたちの間ではさぞかし需要が高かったことでしょう。でも、今日こうした作品の多くが忘れ去られ、私たちが接する機会はほとんどないと言ってよいかもしれません。
 ブルクミュラーはバレエ音楽の分野でも作品を残しており、《ラ・ペリ》は当時ヨーロッパで大変人気を博したそうです。また、《ジゼル》は大部分はアダンの作曲によるものですが、一部ブルクミュラーによる挿入曲があるとか。このようなバレエの名作でブルクミュラーの名前が出てくるとは意外でした。

 この本の中では、バレエがブルクミュラーの音楽性に多くの影響を与えていたことも書かれています。ピアノの練習曲に舞曲的な要素が見られる例が、バレエの練習ピアニストの発言を引用する形でいくつか挙げられていました(ブルクミュラーの練習曲はバレエのお稽古の現場でもけっこう重宝されているそうです)。
 それを読んで、子供の頃ブルクミュラーを弾いていて興が乗った時は、フィジカルに気持ち良かったことを思い出しました。リズムなり曲想なり、身体に働きかけるような何かが、ブルクミュラーの作品には少なくなかったような気がします。

タイトルの一部が変わっていた

 私は小学生の時に3〜4年ほどピアノを習っていました。バイエルの次に与えられたのがブルクミュラーの『25の練習曲』です。当時日本のピアノ教室ではこれが標準的な流れでした(今はどうなのでしょうか)。25曲全て習うことなく次に進むことになって、この曲集との付き合いはそう長くはありませんでしたが、教わった曲はそれぞれ印象に残っています。
 並行して使用するハノンなどとは違って、ブルクミュラーの曲にはメロディらしいメロディがあると同時に、すてきなタイトルがついています。タイトルがもたらすイメージをもとに、子供なりに妄想をふくらませながら音楽を奏でるのはとても楽しい経験でした(中には〈タランテラ〉のように意味もわからず嬉々として弾いていた曲もありましたが)。もう45年ほど前の、懐かしい思い出です。
 その時馴染んでいたタイトルの一部が、長い年月の間にいつの間にか変わっていたことをこの本で知りました。楽譜が改訂されるとともに、タイトルの日本語訳や解説の見直しも行われていたのです。また、作曲者名の表記もかつては「ブルミュラー」が一般的だったのが、現在では「ブルミュラー」としているものが多いようです。

 フランス語でつけられた原題がどのように訳されているかは、出版社によってさまざまであることが本の中の一覧表(p.40〜41)を見るとわかります。
 タイトルにまつわる話題がいくつかあった中で、私が最も興味深く読んだのは、曲集きっての人気曲〈貴婦人の乗馬〉についてでした。
 原題は「La chevaleresque」。chevaleresqueという単語は「騎士道の」という意味の形容詞なのだそうです。これに本来女性名詞につける定冠詞の「La」がついているのです(もしここが「Le」であれば形容詞の抽象名詞化として理解できるそうなのですが)。
 著者はこの不思議なタイトルについて、

おそらく翻訳者たちはこのLaに相当頭を悩ませ、(中略)「貴婦人」などを登場させたのだろう。

『ブルクミュラー25の不思議』p.46

と推測しています。
 ここには直接「貴婦人」や「乗馬」を意味するものはない、とわかって私は少し残念に思いました。これらの単語から漂う優雅な雰囲気は、昭和の小学生にとって別世界のもの。でも憧れの「貴婦人」はこの曲の中にはいなかったことになります。
 原題とは違っていても、今でもこの訳を使い続けている出版社はありますし、少なくともどの楽譜にも「乗馬」という文字は健在のようです(あのリズムは、馬の歩みでなかったら一体何だというのでしょう)。
 ブルクミュラーがどういう意図でこのタイトルをつけたのかはわかっていないそうですが、ひょっとするとLaとchevaleresqueの間に何か名詞が入っていた可能性もこの本では示唆されています。
 いずれにしろ、原題に立ち返れば、「貴婦人」や「乗馬」にとらわれない解釈も可能です。どんなものに「騎士道」的なものを想定するかによって、曲の印象はまた違ったものになるでしょう。
 でも、軽快な足取りのこの曲、標題が何であってもその魅力は損なわれることはないと思います。

大人も盛り上がるブルクミュラー

 ブルクミュラー没後150年の今年は、それにちなんださまざまな催しが行われています。
 命日にあたる2月13日には、インターネットで座談会が行われていました。私は当日のライブを一部しか視聴することが出来なかったのですが、先ごろYouTubeでアーカイブを全部見ました。出演者には『ブルクミュラー 25の不思議』の著者2名も含まれています。

 音楽関係の方々が集まって2時間近くもブルクミュラーについて熱く語り合う様子はとても楽しげ。大人をも夢中にさせてしまう魅力がブルクミュラーにはある、ということです。バイエルやハノンやツェルニーだって、子供の頃にピアノを習ったことがある人の共通体験であるはずですが、話題としてブルクミュラーほどには盛り上がらないような気がします。
 折々にピアニストの方がブルクミュラー作品を演奏してくださったのですが、子供向けの曲も大人のピアニストが弾くと味わいが違います。
 こんなふうにブルクミュラーを「鑑賞」したのは初めての経験です。ピアノのお稽古の時に「次の課題はこういう曲です」と先生が見本で弾いてくれたものと、発表会で他の子供が弾いたものしか私は聴いたことがなかったのです。そもそも初学者向け教本の曲など、鑑賞の対象と考えたことがありませんでした。
 CDもいくつか出ているようですし、現在ではYouTubeや音楽サブスクなどネット上でプロのピアニストが弾くブルクミュラーを聴くことができます。
 今改めてブルクミュラーを「鑑賞」すると、明快な展開の中にもふとした瞬間(例えば転調したり、曲想が変わった時)にグッときたりします。演奏が素晴らしいうえに、私も大人になって作品から感じ取れるものが子供の時とは違っているからなのでしょう。

45年ぶりに弾いてみた

 ゴールデンウィークに帰省した時に、実家に置いてあった『25の練習曲』の曲集を持ってきました。ブルクミュラーの本を読んだりしているうちに、久しぶりに弾いてみたくなったのです。
 ピアノはもうずいぶん長い間触っていません。電子ピアノを持ってはいるものの、子供の頃少し習った程度では弾ける曲が限られることもあって、飽きて使わなくなっていました。鍵盤の下の空間はいつしかミネラルウォーターやお米の備蓄場所に。まずは楽器まわりを片付けることから始めなくてはなりませんでした。
 楽譜を開き、つっかえつっかえ順番に弾いていきます。へたくそでも、ヘッドホンを使えば他の誰にも聞こえないのが電子ピアノの良いところです。
 弾いているうちに少しずつ記憶がよみがえり、だんだん指が動くようになってきました。体で覚えたものというのは案外忘れないものなのですね(若いうちにもっといろいろなことをしておけばよかった)。

 あれこれ弾いてみたあと、すごくいいなあと思ったのは〈清い流れ〉と〈アヴェ・マリア〉です。〈清い流れ〉など昔は単調な曲だと思っていましたが、年齢を重ねた今はそのミニマルな反復にこそ深い安らぎを覚えます。また、〈アヴェ・マリア〉に満ちている温かな和声や穏やかな情感も、子供の頃は全然良さがわかっていませんでした。ブルクミュラー・イヤーをきっかけにたいへんな拾い物をした気分です。

 まあ、せっかく楽器まわりもきれいにしたことだし、もう少しピアノを触ってみようかなと思います。改めてスケール練習からやり直したり、レッスンに通ったりするほどのやる気はありませんが、『25の練習曲』は技術的にやさしいので、このくらいなら楽しんでおさらいできそうです。

全音楽譜出版社の曲集
昔はビニールカバーや帯がついていました
(オレンジ色の帯は初級者レベルのしるし)


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