短い帰省で父との思い出を息子の思い出に投影する
先週末、少し実家の佐賀に帰省した。7時間かけて移動して、わずか2時間の滞在だった。
帰省の事情をここでは触れない。誰にだっていろいろな事情があるのだ。息子と二人で帰省した。
一緒に住んでいない息子に対して、私が望んでいることは、大人になるまでに自分一人が食べていけるような何がしかを見つけることだ。
ずっと息子を養えるだけの経済力や寿命があれば、かわいい息子のために、それでもいいとさえ思うのだけれど、そんな経済力もないし、40歳代後半になり健康不安がしょうっちゅうやってくる私は、きっと息子より先に死ぬ可能性がずっと高いだろうと思っている。何より彼が自ら手にしたもので人生を切り開く充実感を奪うことはできない。
今、息子には10歳にして、すでに将来にやりたいこと、やりたい仕事を想像している。「できるかなぁ」という不安を口にしつつ、そのために今できることをしていることも多い。やりたいことがあることは結構だし、本当に将来、彼が望む仕事ができるなら、着手が早い方がいいかもしれない。
できれば、それを助けたい。
「好きなこと」「憧れること」「やりたいこと」、この共通部分が仕事になると幸せだし、納得感ある人生が送れるかもしれない。
でも、思った通りの人生にならないことは、自分の人生でよくわかっている。今、やれることをやってみて、その中で関連するスキルを身に付け、将来のために試行錯誤した経験さえあれば、それは、将来、彼の人生を助けることになるだろう。
私は、将棋のルールを小学校3年生の時、父に教わった。覚えたばかりの時、何度も遊びたくて、仕事から帰った父を捕まえて、一戦、せがんだ。が、自分で将棋のルールを教えておいて、教えた三日後には、仕事の疲れもあって将棋に付き合ってくれなくなった。
そんな父を恨んでいる(恨んでいる、は大げさだが、何度も思い出す出来事の一つだ)
この経験があるから、というわけでもないが、私は、息子が興味を持ったこと、「好き」になるべく付き合いたい。興味を持てば何でも好きになれる、という信仰もあるけれど、実際何でも都合よく好きになれるわけじゃない。
彼の将来にかけて作成されていく「好き」のリストに、彼が得意になること、彼の性質に向いていることがたくさんある保証なんてない。なるべく、彼の目の前の好きを助けるために、私のお金も時間も使えると嬉しい。
短い帰省のあとは、福岡に滞在した。
ららぽーと福岡に、ガンダムを見に行き、プラモデルを買った。ホテルで組み立てたいと言った息子に、狭いホテルで組み立てる面倒さ、部品をなくす怖さ、あとの食事のことを一旦忘れて、「いいよ」と答えた。
どうせ作れやしないと高を括っていたが、彼は21時ごろ、それをほぼ完成させた。
さらに翌日、東京に戻る日。
福岡に、息子が遊べそうな施設が見つけられなかったが、何とか遊べそうな施設を見つけて、遊びに行った。
ここで、たまたま、彼が好きな作品の謎解きゲームを見つけて、急遽参加した。後ろの飛行機の時間があったので、謎解きを十分堪能はできなかったけれど、作品世界を現実に落とし込んだ空間で、展開される物語を30分間堪能できたと思う。
なんでも買ってやれるわけではないが、これからも彼の好きに付き合うことができれば嬉しいし、それが1mmでいい、彼の将来の足しになればいいな、と思う。