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「膳所から世界へ!」成瀬に会いたくなる2冊
『成瀬は天下を取りにいく』『成瀬は信じた道をいく』を読んだ。
両作品ともに、実に小気味いい。
作品の主人公、成瀬あかりは、いわゆる変わり者だ。周りの顔色を見ることもなく、自分がやりたいこと、自分が正しいと思うことをする。成瀬のふるまいは、すがすがしい上に、小気味よい。実に小気味よい。
何でも気になったものに没頭してしまう性質で、学校の勉強もしっかりするので、成績もよい。でも、実際に、自分のクラスメイトにこんな小学生がいたら、中学生がいたら… どうだろう? 友達になれただろうか。
私の疑問の通り、実際に、成瀬が小学校の高学年くらいの時には、まっすぐな態度と優等生な感じが鼻についたのか、同級生に嫌われてもいたようだ。読者の中には、人生でこういうタイプの人に振り回されたせいで、私と同じように楽しく読めなかった人はいるかもしれない。「共有できないのは残念だが仕方がない」成瀬だったらそう言ってくれるだろう。
実際には、顔色が読めないというより、顔色を読むのがちょっと不得意なだけで、相手の気持ちもちゃんと考える子だ。そういうことを知っている大人や、地元の小学生、中学生、高校生たちが、成瀬のことが気になって、好きになって、成瀬の味方になってくれる。
第一作『成瀬は天下を取りにいく』では、主に親友である島崎の視線で成瀬が語られる。島崎みゆきは、同じマンションに住む成瀬の幼馴染みだ。他の人同様に、成瀬のことが鬱陶しい時期もあったが、中学生の今では、成瀬観察をおもしろく感じている。付き合ってほしいと言われると、逡巡しても、つい付き合ってしまう。
挙句、地元のデパートの閉店に合わせて、地元のテレビ局の夕方番組に映り込むことに付き合わされるし、M-1に出るために、漫才の練習をして、予選に出るために大阪に行く羽目にもなる。成瀬の基準で一旦満足してしまえば、その取り組みを捨ててすぐ、次の新しいことに進もうとするので、島崎はそれを不満にも感じている。隣の親友を見ているだけで、ジェットコースターに乗っているようで落ち着かない。
でも、お互いに親友だと思っている。感情が表に出ない成瀬にしても、島崎を失いそうになる時には動揺した。自分の調子は自分で取ることが自然にできてしまう成瀬が、それができなくなるくらいに動揺した。成瀬は、本当にいい友達に恵まれたと思う。
第二作『成瀬は信じた道をいく』では大学生になった成瀬は相変わらず。成瀬と島崎のコンビ「ゼゼカラ」ファンの小学生、成瀬の受験を見守る成瀬の父、近所のクレーマー(をやめたい)主婦、観光大使になるべくしてなった地元の女子大生が、成瀬と関わることで、小さな、でも、とても大きな変化をしていく。最後に訪れる、成瀬だったら大丈夫、と感じるどうでもいいようなあんな事件さえ、成瀬がいなければ関係なかった人たちの関わり合いを見て、涙腺が緩んでしまう。作品を通して、成瀬が感情を表に出さない分、私の感情は揺さぶられっぱなしだった。
これを読めば、成瀬に会いたい、膳所に行きたい、と多くの人が思うだろう。
この本を読んだ直後に「膳所から世界へ!」と口に出して、人差し指で天を指した人間は私だけではないはずだ。成瀬に会いたい気持ちを抱えて、今日も自分の信じた道を迷いなく歩きたい、そう思えるすがすがしい読後感をこの本は与えてくれる。
(成瀬・俺)「ぜひ読んでみてほしい」
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