俳句を作ろう。十七音の手っ取り早さと共通体験の強さと観察の深み」
金曜日に、こちらの講座を受講してきました!
私は、普段、短歌を詠んでいますが、俳句は詠んでいません。ただ、短い詩形、短歌と同様に、五音、七音で構成されるものなので、俳句の上達のコツを聞いて、短歌が上達しないかと、参加申し込みをしました。
お題目的な動機は置いといて…、プレバトで見る夏井さんの添削が気持ちいいですよね。言葉を軽やかに扱う(ように見える)。詠み手にとっても、詩にとっても、正しい答えにたどり着くことができる(正しいという言い方はともかく)。そんな夏井さんのことがとても気になっています。
俳句を作れない理由は人さまざま
糸井さんは、短文を扱うことを生業としながら、「(俳句が)詠めない」「(俳句が)できないと言っちゃう」そうです。コピーライターの句会もあって、それを横目に見ては、羨ましいとも感じるそうです。
また、普段、乱暴な発言を取り上げられる角川春樹さんを例に、角川さんの俳句を見ると、え、こんなこと考えてるの? こんな表現をする人なの? といった具合に、表には見えない人間の奥行きを感じるそうです。
それはプレバトに出ているタレントさんの俳句を見ても感じるそうです。
糸井さんは俳句が詠めない理由として、短文を商売にしているのに、ちゃんとしたものが詠めないと恥ずかしくて、「見栄」が俳句を詠めなくしてるんじゃないか? とおっしゃっていました。
糸井さんではありませんが、世の中には、3つの「ない」で、詠まない人がたくさんいると夏井さんは教えてくれました。
・語彙がない
・感性がない
・知識がない
というものです。
でも、そんなことは俳句を詠む障害にはならないそうです。俳句には型もあるので、これらは必要ありません。もちろん、類想類句といって、すでに誰もが見知ったことのある場面、誰かが詠んだような句が出来上がりますが、誰だって、いきなり名作を生むことはできないでしょう。
夏井さん自身は、俳句を詠みだした時に、藤田湘子さん(ふじたしょうしさん、男性です)の本があって、作りはじめられたそうです。
俳句を始めない理由として、冗談のようですが「正座できません」「お着物持ってないんですが…」みたいなことを言われることもあるそうです(和室に正座して、筆で短冊に書きつける映像が浮かびますね)。
でも、俳句の裾野を広げるために、藤田湘子さんの「20週俳句入門」のもっと手前の詠めない理由を失くさないといけないと感じて、初心者手前の人向けの入門書を書かれたそうです。
糸井さん曰く、補助輪付きの自転車の乗り方が書いてある本です。自転車は補助輪なしで乗れるようになってからが楽しいので、その手前は、まず補助輪の力を借りて乗りましょう、とオススメされていました。
夏井さんの分析では、糸井さんが詠めない理由は、作ったものを見た瞬間に、厳しい批評者としての目で、自分の作った俳句を見てしまうせいじゃないでしょうか? とおっしゃっていました。短文や目的にあった文を作ってこられた糸井さんの目は、実際にだいぶ厳しいですよね。
対談の場所では「さもありなん」と、夏井さんの指摘を受け入れましたが、コピーだって、世に出る前には正解にたどり着くまでの逡巡があるはずです。
厳しい批評家だからと言って、それをもとに試行錯誤ができない理由にはならないでしょう。糸井さんが俳句を作れなかった理由は、私には、まだ理解できないままです。
夏井さんはコピーの作り方がわからない
夏井さんから見るとコピーを作ることが、途方もないことに思えるそうです。決まった型がないので、自由律俳句を作る、山頭火、荻原井泉水、尾崎放哉のように、コピーを作る人は、砂漠の蜃気楼のオアシスを目指すような、無謀な冒険者に映るそうです。
糸井さんは、コピーには、「型はないけれど、条件はある」と言います。やり方は「お仲人さん」と言います。
例えば、結婚候補のお相手を紹介する時に、当たり障りがあるので、「身長〇cm」「年収〇〇円」と直接伝えることなしに、人柄などを紹介することがあります。
では、どう紹介するか?
お金持ちと言っちゃうのが直接的で、紹介相手に失礼に思われるのなら、生活に困らないことを、お金持ちという以外の方法で、ちゃんと伝えないといけません。あるいは、人柄を伝えるのに、「優しい」「おもしろい」「豪胆」と伝えるのではなく、「彼はこういう場面で、笑い出したんだよ」みたいなことをいうほうが、人柄をよく伝えることはあいります。お仲人さんは、結婚する二人に幸せになってほしいので、嘘は言えません。それでは詐欺や(一方からすると)誘拐になってしまいます。
もちろん、コピーで扱う商品と同じで、「これこれができないと損します!」「安い!」を伝えるほうが売れることはあります(身長や年収を直接伝えることと同様に)。その上で、コピーは、お仲人さんが人柄や実際の特徴をうまく伝えるような技術があるそうです。伝えたいことが伝わっているか(機能、利用場面、同カテゴリーとの価格比較)、(売る・共感させる)目的に適っているか、ですね。糸井さんのコピーも、夏井さんの俳句も「伝わってなんぼ」です。
俳句を作ることのいいところ
俳句を始めると「作る」「読み解く」を両方行います。プレバトの夏井さんをご覧になった方はご存じでしょう。
夏井さんはまず、「この句のいいところはどこだろう?」を考えるそうです。また、いいところが活かせていない部分、足りない部分、うまくいってない部分を見つけます。この分析作業がうまくいって、うまく伝えるための方法を発見できた時、とても嬉しくなるそうです!
提示された句に対して、まず「褒める」「認める」「受け入れる」という行為には、上下関係がありません。実際には、句会、句座の場には、船頭役の人が必要でしょうけど、行為自体に、上下関係はありません。
短歌の会、歌会でも同じですね。歌会では、最初、詠み手が伏せられた状態で歌だけ提示されます。感想、いいところ、改善したい点について、意見を出し合います。詠み手がわからない状態なので、遠慮なく「私には合わない」「意味がわからない」「こうしたほうがいい」なんてことを発言します。初心者が、有名な歌人の短歌にそんなことを言うことだってあるわけです(自分の歌の評がいまいちな時は、針の筵感はあるんですけどね)。
判断に悩んだ時に、それを判定する船頭役はやっぱり大事だと言う糸井さんのご意見、特に、連歌のような時は、複数案のうちどれかを採用しないといけないので、そうした方は、必須になるでしょう。
必須とまで言えなくても、感想や評価コメントが出尽くした後にあまりパッとしない状況が生まれた時に、船頭役が「こういう感じ方をするからこっちのほうがよくない?」なんて言ってくれたら、「やっぱりそうよねー」という安心感が生まれます。
季語のすごさ
季語が5音の定型(17音)だった場合、5÷17=29.4%が、季語です。自分の言葉じゃないものを三割も借りてきて、「自分の創作です」と言えるのはすごくないですか? と糸井さん。
季語は、共感の土台です。類想類句という言葉がありましたが、みんな思ってる、みんなが感じている、という経験は確かに存在します。いい句は、その共感ポイントに、ちょっと自分が感じたこと、観察できたことを盛れた時に生まれます。
直近、私が読んだ百人一首「秋風にたなびく雲の絶え間よりもれ出づる月の影のさやけさ」にも、それはありました。当時でさえも、陳腐で、よくある情景ですが、「もれ出づる」の一語で、歌の印象が変わります。
「季語」は、誰もが知っていて、遺伝子レベルで理解しているようなことです。その人類の、日本人の共通体験を誰もが使っていい文化遺産、いや使っていいので、文化財というべきものが、整理されたものが「季語」です。また「季語」は追体験のシステムとも夏井さんは言います。
「風薫る」という感じを体験した人にとっては、「ああ、あの感じね」と理解できますし、初夏の風を意識したことがない人は、「風薫る」という季語を知ることで、その感じを次から意識できるようになります。
糸井さんは、アニメーションの作り方にも似ていると言いました。
CGやAIは作り方が違うかもしれませんが、セルで作るアニメは3つのセルから構成されています。「近景:人」「中景:部屋の窓」「遠景:窓の外の山」です。
ジブリの作品では、実は、手前の人物は、普通のアニメーション、マンガのような粒度で描かれていますが、遠景は、絵画のような緻密な絵になっていたりします。その遠景に堪えれる、表情や動きが手前にあるわけです。
俳句は、「季語」という文化財(遠景)を借りてきて、それを活かす、観察した対象物に合う表現を探ります。あるいは、絶妙な観察結果にピッタリとする「季語」を借りてきます。
実際に、季語だけで短歌の印象が変わります。糸井さんが対談中に、ふと提示した「居眠りしてる娘婿」という単語。これに季語を付けてみます。例えば、
いちご狩り居眠りしてる娘婿
義父視点だと「みんなで来た苺借りで、なんでこいつ寝てんだよ」かもしれませんし、娘婿側の友人側の視点だと、「運転疲れたのかな。気を遣うよね」となるでしょう。
こどもの日居眠りしてる娘婿
だと「子どもにとって大事な日に、なんでこいつは寝てんだ?」になるでしょう。
「昭和の日」居眠りしてる娘婿
前の天皇誕生日ですね。こうすると、「昭和」が意味ありげに見えてきます。思想的な背景を想像したり、ゴールデンウイークの前半に、仕事から解放されたばかり、連休初日の怠惰だけが浮かぶ人もいるでしょう。
観察と好奇心
俳句をはじめると、周りを観察するようになり、好奇心が強化されるそうです。今まで、これまで電車内でスマホに向き合っていた時間も、同じようにスマホに向き合っている周りの人に興味が移ります。例えば、乗客が長靴を履いている。こんな暑い日に「なぜ、この人は長靴なんだろう?」と思って観察をする。よくよく見ると長靴には泥がついていて、「(長靴の)泥」とメモをする。メモをするだけで得した気分にもなるそうです。
観察と好奇心は、短歌も同じですね。「今、沸き立つ感情はなんて表現すればいいんだろう?」「なんで、こういう感情を生まれたんだろう」と、感情が生まれたきっかけとなった視界にあるものを観察するようになります。その感情や場面に適切な言葉を探すようになります。
観察力にすぐれ、好奇心の旺盛な糸井さんは、やっぱり俳句に向いてますよね。夏井さんと糸井さんの対談を聞いてみて、俳句素人の私でもそう思いました。糸井さんの作る俳句が楽しみです。
まとめ
今、毎日「短歌」を詠んでいます。
俳句では、「外界の観察」「他人に見られない視点・適切な表現」「共感の土台になるワードの選択」をします。もしかすると短歌より俳句のほうが、今の自分の仕事であるマーケティングの仕事に向いてるかもしれません。
短歌をやめる気はありませんが、俳句も詠んでみようかな。。
短歌と俳句の両立は可能でしょうか。やってみようかな、うーん…、どうでしょう?
おまけ
今回の対談に向かう前、ちょっと俳句を作ってみました。
十四音削りて句とす春はやて
普段短歌を作っています。短歌から五七五七七の後半(七七)の十四音削れば、俳句になるんじゃ… 対談までにちょっと作ってみようと、対談の数時間前に作ろうとした時の様子です。やっつけで作った、やっつけ館も出したく、強い風の印象である「春はやて」を使いました。
褒められもせぬ筍を茹でている
在宅勤務、仕事の合い間に、前日、妻と一緒にスーパーに行った時に買った、筍を茹でている風景です。妻は毎日出社しているのに対して、私は在宅勤務なので、どうしても日々の家事は、私がすることが多いです。別に褒められもしないのに、筍をたんたんと茹でている状況です。いい香りを独り占めしてる疚しさも少しありました。