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大きな玉ねぎの下で(9)

「確かに原稿を預かります。君はいい目をしているね」
その言葉だけでも嬉しかった。
「まだ出版社を回るんだろう。頑張って」
姫野さんは、みんな分かっている気がした。
「いろいろありがとうございます」
出版社の出口まで見送ってくれた。数歩歩いたとき、後ろから姫野さんの声がした。
「あ、安納さんにも報告をしておいたほうがいいよ」
「ありがとうござます」
僕は振り返り、深々と頭を下げた。


 3つ目の出版社の方との約束の時間は11時30分。近いのだが、少し小走りで出版社に向かった。ぴったり30分についた。

「11時30分に安河さんとお会いする約束をしている納谷です」

早口で受付の方に伝えながら、額の汗をハンカチで拭いた。

「しばらくお待ちください。確認を取ってまいります」

 口角が上がり気味に微笑みながら丁寧に話をしてくれた。しばらくすると、真っ赤なジャケットを羽織った背の高い女性がこちらを見ながら受付まできて、受付の方と小さな声で話をした。

「こんにちは、私は安河です。先日、ご連絡をいただいた納谷さんですか?」
「はい、納谷です、納谷卓也です。先日は突然のお電話にもかかわらず、対応をしていただき、ありがとうございました」
「納谷さんは、秋田からでしたね。新幹線か飛行機?」
「いや、夜行バスで今朝、東京にきました」
「まだ秋田は寒いでしょ」
「はい、まだとても寒いです」
「夜行バスは眠れましたか」
「出版社に来ることで緊張していまして、熟睡はできませんでした」
「そうよね、夜行バスだとね」

 雑談的な話が続いた。ポケットの中でスマホがブルブルと動いた。音は消してあったのでよかったが亜紀からの電話かLINEのメッセージだろうと思った。慌ててズボンの上からスマホを押さえた。

「ここで話していてもね」

 そう言いながら安河さんは受付の方に空いている会議室を確認し、鍵を受け取った。

「お待たせしてごめんなさいね。2Aという会議室が空いているからそこに行きましょう」

 僕は、促されるまま、エレベーターで2階に上がった。また、スマホが揺れた。またズボンの上からスマホを押さえた。

「どうかしましたか」

 安河さんが声をかけた。さりげなく腕時計を見たときもそうだったが、どこの出版社の方も僕のさりげない動きをすぐに察知することに驚いた。

 安河さんは2A会議室の鍵を開け、壁際にあるスイッチを入れた。エアコンが起動し、部屋が明るくなった。

「こちらで少しお話を聞かせてくださいね。12時までしか時間がなくてごめんなさいね。そこに座ってね」
「いえ、貴重な時間をありがとうございます」
「原稿ってどれですか」

 僕は最後の封筒をバッグから出し、一度座った椅子から、腰をあげて、封筒の向きを確認して、安河さんに渡した。

「よろしくお願いいたします」
「こんなにいっぱい書いたのね、ちゃんとページも付いているわね。どんなことが書いてあるの?」
「思春期の男子が同級生の影響を受けて、成長をしていくものです」
「青春ものね。小説はどのくらい書いているの?」
「え、実は今回初めて小説を書きました。3つ書きましたので、今日、3つの出版社の方に見て欲しくて回っているところです」
「あ、だから今日のこの時間だったのね。小説を書くのは楽しい?」
「はい、とても楽しいです」
「楽しいのが一番よ。書いていくと書くことが辛くなることもあるのよ。自分の思っていることを伝える言葉が見つからなくなったりしてね。伝えたいのに伝えられないのよ。人に伝えることの難しさがわかってくると書くことへの怖さも出てくることがあるのよ」

 安河さんは長い髪をかき上げながら、小説原稿をペラペラと見て、話を続けた。僕の原稿を、僕の書いた文章を見てくれている。それだけで嬉しかった。自然と笑顔になっていた。そんな僕の顔をちらっと見て、安河さんは話を続けた。

「小説だけで生活するのってなかなか大変よ」

そう言いながらも最後のページまで原稿をめくってくれた。

「納谷さん、本当はね、原稿の前に1ページ『あらすじ』を書いて一緒に出してくれると分かり易いわよ。一枚でいいからね。できればそこに自己紹介などもあると見てもらえると思うわよ」

そういうものなのか。初めて小説を書いて、初めて出版社に持ってきた僕は、全てが初めてだった。

「ごめんなさい。もうそろそろ時間だわ。この原稿はもらってもいいのかしら。返却はできないと思うけど」
「はい、ありがとうございます」
「玄関まで送りたいけど、次の準備があるので、ここでいいかしら」
「あ、名刺を渡してもいいですか」
「ごめんなさいね、私も渡してなかったわね」

 真っ赤なジャケットのポケットから真っ赤な名刺入れを取り出し、イラスト入りの名刺を安河さんは差し出した。

「ありがとうございます。大切にします」

 自然と「大切にします」という言葉が出た。安河さんはニコッと笑顔で答えた。

 出版社の玄関を出る時、受付の方が僕を見て微笑んだ。僕は名刺を持って受付に行った。名刺を渡したくても渡す人が今まではいなかったので、誰にでも渡したかった。秋田に帰ったらこの自作の名刺は必要がなくなるだろう。受付の方へ名刺を渡しながら「ありがとうございました」とお礼を言った。受付の方が少し僕に顔を寄せてきた。小声で「安河さんは、小説家なのよ」と囁いた。そうだったのか、だから小説の内容や本になった時のことより、小説を書くことについて話をしてくれたのか。

(3つの出版社を回った卓也は多くの学びをした。亜紀への思いがいっきに膨らんで来た。 次回へ続く)


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