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[書評]『夜を着こなせたなら』山階基
2024年11月30日、武蔵野公会堂にて山階基歌集『夜を着こなせたなら』の批評会が開催されました。本文は、当日の野川の会場発言を元に加筆した書評です。パネリスト(江戸雪、嶋稟太郎、橋本牧人、山崎聡子)のレジュメと着眼点が重なる部分については、注釈をつけています。(敬称略)
失われるものをとどめる
何を詠っていても、常に失われることを意識しているような歌集だ。歌の中で、雨は止む時を、花は散る時を、湯は乾く時を、すでに内包している。更に言えば、心は忘れる、生きるものは死ぬ、ということなのだと思う。
頬に雨あたりはじめる風のなか生きているのに慣れるのはいつ ※1
枝先をすこしかすめてドアは閉じエレベーターに散る小手毬よ
やがて湯にひどく懐いていた髪もかわきはじめてかわきたくなる
何気ない情景に移ろいを感じられる理由は、一瞬を切り取る繊細な技術である。例えばこんな歌がある。
たんぽぽの綿毛に傘の先を刺す咳するように綿毛は欠ける
「刺す」「咳するように」「欠ける」という語の選び方が的確だ。似た経験のある者ならば、傘で突いた綿毛の一部だけがぱっと飛び散る様子を、スローモーションのように再生することができるだろう。乾いた萼の様子、種子が離れた後の細かい凹みまで目に浮かぶようだ。
「速い/遅い」で言えば、山階の歌は「遅い」歌である。一語一語を噛んで含めるように、ある瞬間を丁寧に詠む。
歌集全体としては、ひとつのスタイルを貫く姿勢が特徴的だ。基本的に定型を崩さない。一字開けもしない。情景を丁寧に、自然な口語でうたう。そのスタイルは、激しく感情を吐露せず、日々家事をし、食事をする、という主体の在り様と重なり、かたくなにすら見える。
どこか自分を遠く捉えているような印象は、心象を夢や舞台のように描写する歌群でさらに強くなる。
さびしさはあればあるだけ紙吹雪みんなかわいい元恋人よ ※2
銀幕よ告げることばがひとつずつ愛の道具になりさがるまで
夢のような暮らしのような夢のあと西陽は冬のシーツに延びる ※3
「よ」「かな」という詠嘆の終助詞を多用していることも、「遠さ」を感じさせる要因のひとつだろう。これらの終助詞が、文法上詠嘆に分類される用法で、日常に使われることは昨今ほとんどない。そのため、完全口語の歌に「よ」「かな」が混じるとき、それらは心情の吐露よりも、自分事でありながらどこかクッションを挟むようなニュアンスを帯びる。※4
共食いになればとうてい食べきれず膝をかかえるねぶり箸かな
夢に出たわたしのことをきかされる未知の通貨の出演料よ
生活、夢、恋、といったモチーフや、やわらかなユーモアにもかかわらず、この歌集がどこか緊張感を孕むのは、この一貫して抑制的な姿勢が大きい。そこには流されることへの抵抗があり、静かな意思がある。
伸びきった昼の終わりは暮れていく中野と中野からの各駅
「中野と中野からの各駅」は中央線快速電車のアナウンスである。このアナウンスは「中野と中野からの各駅へお急ぎの方は、中央特快へお乗り換えください」と続く。主体は急がないから乗り換えない。各駅に停まりながら、暮れていく昼の終わりを見ている。ゆったりとした上の句と下の句のリフレインの快さだけで十分楽しめる歌だが、「僕はこっちで行く」という宣言のようにも思えてくる。
それはまるで速い世界、暴力的な世界に抗って、遅い、脆いものに心を寄せ、歌にとどめようとしているようだ。
あいまいにふるう毛布はためこんだほこりを冬の午後にふりまく
紙屑をバスタオルからふりはらいふりはらい愛に完成はない ※5
「ほこり」「紙屑」は蓄積された生活の記憶や感情の比喩と読んだ。それらは簡単に振り払えるものとして描かれる。一方で、自分に相反する存在として対象的に描かれているのは、崩れても硬いものたちである。
正論は積み上がるほどきれいだねくずれてもなおジェンガのように
人生の車体にかすり傷をつけきらめくばかり銀貨や銅貨
心も、目の前の景色も、失われると分かっているから、とどめたい。この歌集の中に閉じ込められているのは、歌にしなければそのまま忘れてしまう瞬間ばかりだ。
空になるまでをすっかり忘れても花さしとけば花瓶だからね
伸びきったカセットテープ巻きなおし胸に挿したら記憶はもどる
いつかなつかしいだろうかどくだみの林のへりに暮らすしばらく
だんだん、上記のような歌が自身の短歌そのものについて語っているようにも見えてくる。
最後に、この歌集の抑制が外れる瞬間について語っておきたい。トーンが統一されているが故に、わずかな心の揺れも伝わるような作品だが、不意に感情をそのまま差し出すような歌がある。
さする手は背中の熱にあたたまる泣きやませたい気持ちおさまれ
わたしを覚えておいてね食パンの留め具にゆるく指を咬ませる
これらの歌の中で、主体は夢ではなく現実の体で誰かに触れている。相手ではなく、自分の感情を変えてあなたの今の心をとどめたい。変わっていくことをただ受け止めるのではなく、わたしを覚えていてほしい。
歌集をつらぬく抑制が強固であればあるほど、語り口が静かであればあるほど、その綻びはどうしようもなく胸を打つのだ。
※1 江戸雪レジュメ「継続する時間の暗示」にて同歌の引用
※2 嶋稟太郎レジュメ「夢/現実」にて同歌の引用
※3 嶋稟太郎レジュメ「夢/現実」にて同歌の引用
※4 嶋稟太郎レジュメ「今を〈夢化〉する言葉〜「よ」を中心に〜」にて以下の指摘
》遠くにあるものを呼びかける「よ」は目の前の現実の「今」を懐かしくさせる。「不本意」でも社会に適応してゆく、内面化への抵抗を読み取れないか。
※5 橋本牧人レジュメ「あいまいに笑う」にて同歌の引用
》愛にまつわる紙吹雪
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