見出し画像

50歳を迎えて変わった景色と意識

50歳と49歳は切れ目なく繋がるトンネルのようなものだと思っていた。

だが年の暮れに50歳を迎え、お正月を経て2週間も経たない間に、私の感じ方は驚くほど変わっている。50歳はこれまで走っていたトンネルを抜けるタイミングだったのだ。地下鉄丸ノ内線が四谷あたりで地上に出、パッと視界が開けて外の景色が動き出すように。国境の長いトンネルを抜けるように。

列車に乗り込んだのが20代で、列車の急ブレーキに振り回されながら乗客として手すりやつり革にしがみついていたのが30代だったとすれば、40代はさしずめ列車を動かす運転手。あるいは車掌として、車内を回りながら乗客に目配りしている人も多いだろうか。一方私は40歳で病と出産が重なるという、青天の霹靂な出来事を機に職を離れざるを得なくなり、これまた青天の霹靂だったのだけれど40代は仕事もほとんどせずに、子育てと学びに明け暮れた。

(30代で一度挫折して中断していた)算命学の学びを再開したのが、40代半ばすぎ。学びの途中で思いがけず旧友からとても有難いお誘いをいただいて、学生をしながら再びフリーランスで働き始めた。算命学は49歳でプロ試験を無事パスして免許皆伝となり、続く50歳からは勢いをつけて仕事に猛進し、続くトンネルをひた走る……つもりでいた。

50歳になったばかりの今の私に見えはじめたのは、トンネルという視界を遮るもののない果てしなく広がる景色だ。列車は自分で燃料の石炭を積み込み続けないと止まってしまう蒸気機関車。自分で燃やして動かして、進む線路も決めていける自由さと裏腹に、自走し続けなければならない苦労も孤独もある。振り返れば40代の頃に先が見えずに不安を感じながら走っていた暗闇のトンネルは、行く道を覆い守ってくれる有難い伴走者でもあった。今はもう、その存在はない。

「50歳」という数字の威力は魔法的だ(少し前まで「年齢はただの数字」説を唱えていたのにすみません)。脳内を占める意識も、びっくりするほど変わっていく。40代だったほんの数週間前まで私は、続くトンネルの先の方ばかり目を向けていた。しかし今は、不思議と視線が背後に向き、出て間もないトンネルの中のことばかりが気にかかる。まるで「銀河鉄道999」で列車の最後尾から、地上のメーテルにいつまでも手を振り続ける鉄郎のように。トンネルの中に向かって私は、手を振り続けるようにこのnoteを書いている。

40代のほとんどを仕事でなく「学び」に費やした私ができるのは、きっと学習を通して私が変わった経験を、誰かのために生かすことなのだろう。膨大な時間をかけて会得した算命学の理論と実践、長い歴史をもつ華道から得た気づき、料理やインテリアを通じた暮らしとの向き合い方、ハートを通わせる語学習得法。そして近年は封印しがちだった過去のキャリアも。もし誰かに求められるのなら、伝えていきたい「学び」の数々が私にはある。

2025年最初の事始めも、「学び」だった。念願の「辰巳芳子先生のオンラインスープ教室」に入会し、先生の教えを乞うことを決めたのだ。20代から30代の頃、数年待ちだった先生の鎌倉のスープ教室は入会を何度か断念した。次第に募集すらされなくなり、諦めて先生の本を読むことが長年、自分の中での既定路線だった。しかし今は時代が変わり、オンラインというテクノロジーの恩恵とお弟子さんたちの情熱で、形を変えて入会が叶った。既定路線は既定なんかじゃなかったのだ。

50歳の私には、迷いと葛藤の時を見守ってくれた伴走者はいない。
しかし今、追い続けたい先人たちの偉大な背中が目の前にある。








いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集