「何者」を読んで、心の穴が埋まった話
タイトルの通りです。
浅井リョウさんの「何者」を読んで、心の中で無くなってしまった箇所、ぽっかり空いた穴が埋まるような体験をしました。
僕はこのアカウント、イイノくんの以前に別のアカウントで活動していました。
そこは、カネやビジネスといったことを話す界隈でした。
そこの界隈に属していましたが、周りの雰囲気や見ていること、目指しているものが異なることから、なんか違うとな感じ、新しくイイノくんとして活動を開始しました。
この「なんか」が今までは具体的に言い表せなかったのですが、「何者」を読んで、「なんか」に気づくことができました。
イイノくんとして活動し始めて間もない頃、1人のニートに出会いました。彼は、働かず、親に養ってもらい、毎日配信していて、好きなように過ごしているように見えました。
ニートであるため、配信環境は家庭状況も含め整っており、人を惹き付ける性格であったため、沢山の方が配信を見に来ていました。
僕はそんな彼を羨ましいと思っていました。自分が持ってないものを全て持っている気がして。
ただ、彼は彼で自分のやりたいことをうまく表現できていなく、できないことに葛藤しているようでした。
そんなうちに、彼は配信を辞めてしまいました。
なぜ彼の配信を見始めたのかというと、
彼は一生懸命ゲームをしていました。決して上手くはりませんでしたが、その姿が配信でも伝わってきていて、僕は彼に惹かれていきました。彼の配信、ゲームに対する姿勢に。
僕は一生懸命だっただろうか?熱中していただろうか?
「十点でも二十点でもいから、自分の中から出しなよ。自分の中から出さないと、点数さえつかないんだから。」
「自分は自分にしかなれない。痛くてカッコ悪い今の自分を、理想の自分に近づけることしかできない。みんなそれをわかってるから、痛くてカッコ悪くたってがんばるんだよ。カッコ悪い姿のままあがくんだよ。」
ああ。今なら分かる。
僕に足りなかった、いや、”見ていなかった”部分だと。
いつの間にか一生懸命生きるのを辞めてしまっていた。「どうせ頑張っても」「〜する意味ないし」
前に所属していた界隈はリアル志向なこともあり、こういった純粋な姿勢とは無縁でした。
そういう人を見ているうちに、僕の中に「しこり」みたいなものが溜まってしまい、「なんか」違うと感じていました。
そう、「なんか」とは「一生懸命生きる」ことです。
僕は配信を見ていて彼に憧れていました。僕から消えて無くなってしまったものを見るために。
当時は気づきませんでしたが、そんな大事な気持ちを「何者」を読んで気づくことができました。
だから、最後にここで言わせてもらうよ。
配信してくれてありがとう。
僕は君の配信していた姿を忘れない。
2019/05/12
彼の1ファンとして記す