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【読書メモ】「人に迷惑をかけるな」と言ってはいけない
心の優しい子や気の弱い子に、「人に迷惑をかけちゃいけません」って言いすぎると、人に迷惑をかけないよう我慢しすぎて、心や体を壊してしまう。人に迷惑をかけようが何しようが、自分をまず守れ!と教えるべき。
— ちきりん (@InsideCHIKIRIN) October 20, 2024
私が尊敬するちきりんさんのこのツイートを見て首がもげるほど賛同した私は、買ったのに1ミリも読んでいなかったこの本のことを思い出していた。
私は仕事で海外(特に東南アジア)に行くことが多いが、これまで日本と異なる光景を幾度となく目にしてきた。例えば、運転中誰かとずっと電話しているタクシー運転手。例えば、店内のBGMに合わせて大声で歌うコンビニ店員。そしてこれらは、その人が、という訳ではなく、割とよく見かける一般的な光景なのだ。そのため、周りの人も一切気にしていない。もしこれが日本だったら、どちらの例も一発で動画を撮られSNSにアップされ炎上して終わりだろう。
子どもに目を向けると、ショッピングモールで走り回ったり、レストランで大声ではしゃいだりしてても、日本ほど親から注意されていない印象を受ける。周囲の人も「子どもはうるさいものよね」「元気でいいことね」といった具合で特に気にかけていない。一方、日本に帰り街を観察すると、電車やカフェは異常に静かだし、子どもが騒ぐと誰かが「チッ」と舌打ちし、親は「うるさくしちゃだめでしょ」と注意する。息苦しい。私は「日本って他の国と比べると寛容性が低い国なんだな」と思った。
そんな思いを持っていた私なので表題の本を目にしたとき思わずポチっていた。が、読んでなかった(テヘ)ので読書メモをつけていきます。
私が知りたいポイントは、『「人に迷惑をかけるな」と言っていけない』と言っても、公共の場で子どもが騒ぐ場合はどうすればいいのか?である。ここは海外ではなく寛容性がない国ニッポンである。その言葉が呪いの言葉だとしても、周りの目はどうしてもある。言い方を変えればいいのか、自分がばつの悪い気分を我慢して子どもには好きに遊ばせればいいのか、その答えがあると信じて、ページを捲る。
まず著者は誰かというと、
坪田信貴(つぼた・のぶたか) 坪田塾塾長。心理学を駆使した学習法により、これまでに1300人以上の子どもたちを「子別指導」。(中略)
著書に映画化もされて大ベストセラーとなった『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』(KADOKAWA)
知らずに購入したが、あのビリギャルを書いた人だった。「子別指導」がちょっと気になるが、気にせず読んでいく。
すると早速、私が知りたかった「子どもが騒いでいた場合の対処法」に辿り着いた。
レストランで子どもが走り回っていたら、「走っちゃダメ! 迷惑でしょ」と言うのではなく、「周りの人をハッピーにさせてごらん」と言ってみてはどうでしょうか。変顔をするとか、面白いダンスを披露するとかして、見ている人を笑わせるなんていいと思います。
衝撃の回答である。いや、すいません。ウチの子どもがレストランで変顔したり面白いダンスをして周囲を笑わせようとしてたら「人に迷惑をかけるな」と言って頭を引っ叩きます。ちょっとマジか。真面目にそんなことを書いているんですか、先生、いや塾長。そんなことをしている子どもなんて東南アジアにもいませんでしたよ・・。
いや、いい本なんですよ。たくさんいいこと書いてありましたし共感できる部分もたくさんありました。でもこんな文章を目にしてしまったらその後の信憑性もなくなるし読書意欲がなくなるってもんですよ、先生。いや、塾長。
というわけで、あまり読む気がなくなってしまったので、あとは共感した箇所をいくつか引用して終わりたいと思う。
今は本当に選択肢が多い時代です。価値観も多様化していて、「偏差値の高い学校に行って、大学を出て、一流企業に就職すればよい」ということもありません。
これは本当にそう。「いっぱい勉強して、いい大学入って、いい会社に入ろうね」とだけは絶対に言わないようにしたいと思っている。コレはまさに自分が反面教師になっている。とりあえず大人が言う通りに勉強して、それなりにいい大学に行って、ちゃんとした日系企業に就職したが、あまり自分のwillがないままここまで来てしまった感がある。社会のなんとな~くの空気でそうした方がいいと思って、レールの上を歩いて来てしまった感覚。我が子には、ぜひレールから外れてもらいたいと思っている。親としてできることは、子どもに周りの目なんて気にしなくていいよ、好きなことをやりなさい、と全力でサポートすること。もちろん闇バイトに手を出すみたいなレールの外れ方はダメだけどね。
「ケンくんはすごいよね、運動がなんでもできるから。うちの子はすごい運動オンチで」 「そんなことないよ。うちの子は体力があるだけで、なんにもできないよ。カイくんは賢くていいなぁ」 子どもを連れたお母さん同士のこんな会話。日本ではよく見かけますよね。でも、海外でやったら「虐待」と言われます。人前で「こんなにダメなやつだ」と言っているんですから、名誉毀損です。人前で子どもの顔を叩いているのと同じです。
日本人はつい「謙遜の美徳」を出してしまうが、子どもはそんな知らない。急に親に傷つけられたのと同じ。子どもは親の所有物ではない。自分とは違う人間なのである。周囲を立たせるために自分の子ども下げる必要なんてないし絶対にしてはならない。自分もうっかりすると出てしまいそうなので気をつけたい。「うちの子なんて・・」は禁句。
このように、世界のスタンダードは「困っている人を助けなさい」という積極的道徳です。
最新の研究でも、世界のあらゆる文化に普遍的な道徳的価値観は「人を助ける」ことに重点を置いていることがわかっています。
かたや日本の「人に迷惑をかけてはいけない」は、消極的道徳と言えます。
日本は「人に迷惑をかけてはいけない」という消極的道徳で育てられるが、多くの国は「困っている人がいたら助けなさい」という積極的道徳で育てられる(キリスト教の考えがそうなのも大きい)。消極的道徳に縛られ逆に迷惑だったらどうしようと考えてしまうのが、日本人が困っている人を助けられない理由である。消極的道徳で育てられると、自分が困ったときに人に相談しづらくなるというデメリットがある。人間は生きているだけで誰かに迷惑をかけているもの。そういった前提でお互い助け合いの精神で成り立っている社会の方がよっぽどいい。
と、今回はここまで。このように全体的にすごく良いことが書いてあるのに、あそこだけ気になった・・。